#9 ひとりで食べるということ
私は1人で食事をするのが苦手だ。
1人暮らしをするようになってから基本的にご飯は1人で食べるようになったのだけれど、これがなんというか、寂しい。
誰かと一緒に食べる食事は美味しくて楽しい時間を過ごせるのに、1人の食事はとてもつまらない。
大前提として、私は食への興味が多分薄い。
もちろん美味しいものを食べることは好きだが、普段の食事は割とどうでも良く思うので適当になる。
1人しかいないのならある程度の栄養が摂れていれば良いと思っている。食事を栄養摂取と捉えてしまう時点で、もう食事を食事として楽しめていない自覚がある。
普段食べるのは質素なもので良いし、見た目もそこまでは気にしない。
食べるものももうルーチン化してしまった。
朝は、トーストに半熟の目玉焼き、はちみつをかけたヨーグルト、熱々のコーヒー。
昼は、適当なものを挟んだサンドイッチか、タッパーのご飯。それにりんごかバナナ。
夜は、レトルトカレーとレトルト牛丼とパスタとチルドのハンバーグとか、そこらへんを順番にまわしている。
ルーチン化される前は、食べたいものが自分でもあまりわからなくて献立を考えるのが苦痛だった。
ルーチン化したらあとは同じものを買ってきて同じように食べれば良いとわかってから、普段の慎ましい食事に冒険性と美しさは皆無になったが、食事のことを考えるストレスは減った。
食事内容を見ればよくお分かりだとは思うが、私は料理をほとんどしていない。
料理へのモチベーションがないのだ。自分1人のために料理を作って食べることにあまり意味を見出せずにいる。
食べる量についても、お腹いっぱいになるまで食べるのが好きではないので、毎食八分くらいで食べている。
満腹が嫌いな理由は単純で、身体が重くなるから。上半身が妙に重く感じて動きにくいのだ。私は食い意地とは正反対のところにいる人間らしい。
やっぱり、根本的な食への興味があまりないのだと思う。
食べるときにいつも人がそばにいてくれたら良いのにな、と思う。
そしたらそんなに適当には食べないし、誰か大切な人のためなら、栄養豊富で見た目も良くて美味しい料理をたっぷり作りたいのに。
誰かと一緒なら、毎回の食事の時間が温かくて楽しい時間になるのに。
だから、寂しさ撲滅のためにときどき人を家に呼んで食事をしている。
大抵はピザパーティになる。テイクアウトしてきたピザを人と囲んで食べる。食事をしながら話せる相手が同じ空間にいて話が弾むというのは、私そのものを満たしてくれる。余ったピザは冷えてかたくなるけれど、それを噛みちぎりながらどうでもいい話で笑うことのできる時間はとても貴重で有意義だと感じる。
ひとりで食べるということは、私にとって寂しさを知ることだった。
いつか寂しさを乗り越えて、ひとりの食事も嗜める芯のある女性になれたらいいなと願う。
今日はほんのちょっと冒険して、スプリンクルのかかったドーナツを食べた。理由は単純で、見つけたときにわくわくしたから。一口食べると、甘くて懐かしい味がした。
わくわくする食べ物ならひとりで食べるのも悪くなかった。
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