林 董



生没年月日

1850年(嘉永3年)4月11日 ー 1913年(大正2年)7月10日

出身地

下総国印旛郡佐倉 (現:千葉県佐倉市)

学歴

藩校成徳書院
 
ジェームス・カーティス・ヘボン私塾ヘボン塾
 
ユニバーシティ・カレッジ・ロンドン 留学
 
キングス・カレッジ・ロンドン 留学

年表

1850年(嘉永3年)4月11日


佐倉藩で蘭方医を営む佐藤家に生まれる。
幼名は「信五郎」

佐倉藩校成徳書院で学ぶ。
 
1862年(文久2年)
幕府御典医の林家の養子となる。
「董三郎」に改名。
ヘボン塾で学ぶ。
 
1866年(慶応2年)
幕府留学生としてユニバーシティ・カレッジ・ロンドン、キングス・カレッジ・ロンドンで学ぶ。
 
1868年(慶応4年)
大政奉還に伴い帰国。
榎本武揚に従い戊辰戦争に従軍。
 
1869年(明治2年)
函館で降伏し拘束され禁固刑に処される。
 
1870年(明治3年)4月
釈放される。
駐日アメリカ全権公使チャールズ・デロング翻訳官
 
1871年(明治4年)
神奈川県庁 入庁
 
1871年(明治4年)12月
外務省 入省
岩倉使節団随行二等書記官
 
1873年(明治6年)
工部大書記官
このころに名を「董」に改名。
 
1882年(明治15年)4月
宮内大書記官
 
1885年(明治18年)12月
逓信大書記官
 
1886年(明治19年)3月
逓信省駅逓局長
 
1887年(明治20年)3月
逓信省内信局長

1888年(明治21年)12月


初代香川県知事 (~1889年12月)

1889年(明治22年)12月


第10代兵庫県知事 (~1891年6月)

 
1891年(明治24年)6月
外務次官
 
1895年(明治28年)5月
大清国駐箚日本国公使館特命全権公使
 
1895年(明治28年)10月
男爵
 
1897年(明治30年)5月
ロシア帝国駐箚日本国公使館特命全権公使 兼 スウェーデン特命全権公使 兼 ノルウェー特命全権公使
 
1900年(明治33年)7月
イギリス駐箚日本国公使館特命全権公使
 
1902年(明治35年)2月
子爵
 
1904年(明治37年)
フリーメイソン・エンパイア・ロッジ・ロッジマスター
 
1905年(明治38年)12月
イギリス駐箚日本国大使館特命全権大使

1906年(明治39年)5月


第1次西園寺公望内閣・外務大臣 (~1908年7月)

 
1907年(明治40年)9月
伯爵
 
1908年(明治41年)
同方会会長
電気学会(現:一般社団法人電気学会)会長

1911年(明治44年)8月

第2次西園寺公望内閣・逓信大臣 (~1912年12月) 兼 外務大臣臨時代理 (~1911年10月)

1913年(大正2年)7月10日


脳溢血により神奈川県三浦郡葉山村(現:神奈川県三浦郡葉山町)にて死去。
 

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