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グリークラブと私。

 今朝、宿直が明けて土曜日で休みだったため大人しく家に帰ると4月30日に京都コンサートホールで開催された「京都産業大学グリークラブOB会 男声合唱団ARCHER(アルシェ) 第10回定期演奏会」のDVDが届いていた。
 京都産業大学グリークラブは1965年に創部。創部時は10数名いたようだが、途中で混声合唱団と分団し、4回生1名、以下4名の少人数でスタートした。1981年に全日本合唱音楽コンクール全国大会にて金賞1位を獲得。以降、9年連続全国1位、合計14回の金賞を獲得した。
 実績のあるクラブだったが、合唱人気の低迷と京都産業大学という大学がスポーツに強く、龍谷大学や立命館、同志社などの他の分離総合大学の中ではこじんまりしている関係か、私が入団した2011年には部員数14名、現在は4回生1名のみとなっている。
 OB会合唱団は1982年に創立。ARCHERは英語読みすれば「アーチャー」。大学のシンボルがいて座にあることに由来している。このOB合唱団も1993年に全日本合唱音楽コンクール関西支部大会で金賞を受賞している。コロナ禍前は80名以上で演奏会を執り行っていたが、コロナ後は60名~70数名で演奏会を行うことが増えてきた。

 私はもともと、合唱は苦手だった。中学生のころに初恋の女の子が合唱部におり、ほいほい誘われ入部し、なんだかんだでNHK合唱音楽コンクール山口県大会金賞、中国地区大会銅賞。全日本合唱音楽コンクールも山口県大会金賞、中国地区大会奨励賞。結構な強豪校だった。厳しい練習に嫌気がさして逃げたのだ。
 卒業後、高校では音楽から逃亡した3年間だったが、大学で激しい勧誘に遭い逃げきれずに入部。入部当初はベース。2年目にセカンドテノール。3年目から現在までトップテノール。トレーニングを受けるたびに高くなっていく。そして声が目立ち、ステージに立つとその景色と注目されていることが楽しくて辞められなくなった。おかげで、今も岡山から数か月に1回程度だが京都に練習に通ってしまっている。

 コロナで音楽はとても強い雌伏の時を過ごした。しかしながら、音楽はなくてはならないものだ。古来よりリズムをとることでコミュニケーションが生まれ、見えざる神と対話し、言葉が通じぬ同種族の会話を成り立たせ、娯楽へ、学問へ、あらゆるものに昇華してきた。
 その中で2オクターブ以内で輝く、制約の中の芸術たる男声合唱。ぜひ、続いてほしいし、男声が出れば女性だっていいわけで、ぜひ、京産大で運悪くこの記事を見た人は門を叩いてほしいと思う。

 そして、ついでにだが、2023年9月17日(日)、京都コンサートホールにおいて京都産業大学グリークラブOB、同志社グリークラブOB、明治大学グリークラブOB、立命館大学メンネルコールOBの4団体ジョイントコンサートが開かれる。
 ぜひご来場いただければ幸いだ。

(参)
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