鈴木 喜三郎



生没年月日

1867年(慶応3年)11月6日 ー 1940年(昭和15年)6月24日

出身地

武蔵国橘樹郡大師河原村 (現:神奈川県川崎市川崎区大師河原)

学歴

東京外国語学校仏語学科 (現:国立大学法人東京外国語大学)
 
第一高等中学校 (現:国立大学法人東京大学)
 
東京帝国大学法科大学法律学科仏法科

年表

1867年(慶応3年)11月6日


大師河原に住む川島家に生まれる。
後に天台宗明長寺住職を務める鈴木家の養子となる。

 
1882年(明治15年)7月
旧制東京外国語学校仏語学科で学ぶ。
 
1888年(明治21年)7月
旧制第一高等中学校 卒業
 
1891年(明治24年)7月
東京帝国大学法科大学法律学科仏法科を首席で卒業。
司法省 入省
 
1893年(明治26年)
東京地方裁判所判事
その後、東京控訴院判事。
 
1907年(明治40年)
司法制度・裁判制度調査のためヨーロッパ差遣
 
1908年(明治41年)
大審院判事
以降、東京地方裁判所長、大審院検事、司法省刑事局長、司法省法務局長など歴任。
 
1914年(大正3年)
司法次官

1920年(大正9年)6月


貴族院勅選議員 (~1932年1月)
貴族院院内会派研究会所属。

 
1921年(大正10年)10月
検事総長 (~1924年1月)

1924年(大正13年)1月


清浦奎吾内閣・司法大臣 (~1924年6月)

1927年(昭和2年)4月


田中義一内閣・内務大臣 (~1928年5月)

1931年(昭和6年)12月


犬養毅内閣・司法大臣 (~1932年3月)

1932年(昭和7年)2月


第18回衆議院議員総選挙において神奈川2区から立憲政友会より出馬し当選。
衆議院議員 (~1936年1月)

1932年(昭和7年)3月


犬養毅内閣・内務大臣 (~1932年5月)

 
1932年(昭和7年)5月
立憲政友会総裁 (~1937年2月)

1936年(昭和11年)4月


貴族院勅選議員 (~1940年6月)

1940年(昭和15年)6月24日


貴族院議員在職中のまま死去。

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