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無名人インタビュー:余命宣告をうけて人生を見つめなおした人

「余命宣告」を受けるってどんな気分なんでしょう?私もあと10年ちょっと生きたら還暦、お迎えの第一弾がくるお年頃になってしまうワケですが…とは言え、ピンと来ない。

でもさ、病気になって「アナタ、あと10年で死にますよ」って言われら、残りの人生どう生きようか?「当たり前」が「有難い」ことに変わる瞬間、世界はどう見えるんだろう。なんて考えてしまった今回のインタビュー。本日もお楽しみいただけると幸いです。

本日ご参加いただいたのは、TBYさんです!

▼イントロ

そんり:今日はよろしくお願いします。

TBY:よろしくお願いします。

そんり:今日はどういったインタビューにしましょう。

TBY:最近、病気をしてやっと退院出来ました記念ってことで、自分の病気に絡めて話していこうかなと。

そんり:どういった病気で入院してたんですか?

TBY:えっと…肺動脈っていうのが心臓にあって、そこの動脈の流れが悪くなって、結果的に肺に酸素が十分行かなくなって呼吸が苦しくなって、なおかつ心臓がその送りにくくなったところに血液を頑張って送ろうとするから、心臓が頑張りすぎちゃって心不全の状態になっちゃうっていう…両方の症状が出る病気で。

そんり:うわあ…病名は?

TBY:「肺動脈性肺高血圧症」っていう病気で。

そんり:それは難病指定?

TBY:全国に3,500人ぐらいで。その難病っていうのは、患者が少ないっていうことか、治療法が確立されていないか、どちらか両方が条件になるみたいなんですけど、肺高血圧症はその両方にかかってて、けっきょく治療法がないので、ずっとこの後も一生薬は飲まなきゃいけないんだけど。でもそれはお医者さんにも面談で言われたんだけど、糖尿病とかさ高血圧とかも結局完治しなくって、ああいう病気も薬を飲み続けなきゃいけないから、そういうもんだと思ってください、みたいに言われて。でも、治療しないと死んじゃう病気ではあるんですけど。

[注]指定難病とは?
1)発病の機構が明らかでない
2)治療方法が確立していない
3)希少な疾患
4)長期の療養を必要とするもの
5)患者数が一定の人数(人口の約0.1%程度)に達しないこと
6)客観的な診断基準(またはそれに準ずるもの)が成立していること

▼横断歩道が渡れない…

そんり:いつ体調が悪いことに気付いたんですか。

TBY:自分はもともと、朝と夜にジョギングに行ってて、別に全然スポーツマンとかではないんだけど健康とかダイエットの為に。だいたい、ゆるっと5~10㎞ぐらい走ってたんだけど、ある時なんか走れなくなって、すごく苦しくなっちゃって、すぐ心臓がバクバクいって、走れる距離がどんどん短くなっていって。何かおかしいな…と思ってたんだけど、体力が落ちたからかな?とか、太っちゃったからかな?とか。

そんり:それは自分でおかしいなって思うくらいに、距離が走れなくなってきたってことですか。

TBY:いや、徐々にだから。多分どんな病気でもそうなんだろうけど、徐々に症状が出てくるから、自分ではあんまり変化に気付けなくて、気が付いた時にはだいぶ走れなくなってたって感じで。元々がゆるゆる走ってたから、自分に甘く走ろうと思えば、ゆっくりでも走れて。でも、それじゃ誤魔化せないぐらいに走れなくなってきて、本当に100mも走れなくなってきて。

そんり:それって歩くのもシンドくないですか?

TBY:そうなの。ある時これはどうもおかしいなって思ったのは、家から歩いて2分ぐらいにあるコンビニに行くのに、途中で休まないと辿り着けなくなっちゃって。心臓がバクバクいって、休み休みじゃないとコンビニまで辿り着けなくて。普段は車移動が多かったり、自転車漕いでたりすることが多いから、あまり気付かなかったんだけど。

そんり:ああ、歩くとダメなんですね。

TBY:そう、歩くとダメになっちゃって。だけどっき言ったみたいに、運動不足になったら余計に悪循環だと思って。

そんり:仕事は座り仕事?

TBY:そう、基本は座り仕事で。このままじゃ悪循環だって思い込んでたから、もっとちゃんと運動して鍛えなきゃなって。喘息持ちだから、喘息の症状が酷く出てるだけって思っちゃってたから。

そんり:喘息の症状が酷い時って、めちゃくちゃ苦しいって言いますもんね。

TBY:そう。で、後で分かったんだけど、もうその時は胸に水が溜まってて、胸水って言うんだけど。胸に水が溜まると咳が出るらしくって。

そんり:肺じゃなくて、胸?

TBY:うーん…どっちだったかな。で、これも先生に後から言われたんだけど、本当は喘息じゃないのかも知れないって。肺高血圧症って、息が苦しくなるとか咳が出るとか、割とありふれた症状が長い時間をかけてゆっくり進んでいくから、町医者とかだと分からないんだって。病気自体が珍しい病気だし。

そんり:たしかに…3,500人しかいないんだもんね。

TBY:そうそう。自分は大人になって喘息が出たので、ここ10年くらいなのね、この喘息らしき症状が出だしたのが。アレルギーはもともとあったからか、喘息が大人になって出ちゃったんだろうって思い込んでて、それは実際そうなのかもしれないし違うのかもしれないし、本当のところは分かんないんだけど。でも喘息と間違えられることもあるみたいで。

そんり:へえ、なるほど。

TBY:去年の夏の終わりに、友達と岐阜の馬籠に行った時に、あそこって坂が多いから、そこでヘトヘトになってしまって。ジョギングしていて初めてちょっとおかしいな?って思い始めたのが夏前ぐらいで、その時にはかなり悪くなってたみたいなんだけど、おかしいな、病院に行かなきゃなと思ってた矢先に、父親の肺に影が見つかって、1ヶ月おきに肺のCTを撮ってたの。で、結局は肺ガンで手術することになって。でも父親は、まだ現役で仕事してたから、手術を12月まで延期することになったんだけど。

そんり:うんうん。

TBY:だけどもうその時は自分はかなりシンドくて、ただ親の通院にも付き添わなきゃいけなかったから、なかなか自分の診察は行けなくて。で、さらに、父親の手術は上手くいったんだけど、術後のせん妄っていう症状が酷く出ちゃって。それは一時的なもので治るものなんだけど、うちの父親はそれがちょっと長引いちゃって、12月初めの退院のはずが、12月末に伸びちゃったの。で、結局、秋頃に自分が病院行こうと思ってたのが、年明けになっちゃって。で、ようやく年明けに町医者に行って、ちょっと狭心症かもしれないので見てくださいってエコー検査をしてもらったら、心臓が大きくなってるって言われて、しかも右の心臓が大きくなってるのはちょっと珍しいから、市民病院に行ってくれって。で、市民病院でしっかり検査してもらって、そこでどうも肺高血圧症だろうっていうことが分かって。でもこの病気は大学病院でしか治療できないので、紹介状書くから、来週取りに来てくださいって言われて。 

そんり:ええ…その時にくれれば良いのにね。

TBY:そうそう。で、一週間後に紹介状を貰いに行こうと思ったら、その先生がコロナにかかっちゃって、外来が二週間ストップしちゃったの。

そんり:はあ?

TBY:その間、とりあえず貰った利尿剤だけでしのいでたんだけど、体がとにかくシンドくて苦しくって、家の一階から二階に上がるだけで2回休憩を挟まないと、辿り着けなくて。

そんり:そんな酷い状態でも、大学病院って紹介状がないと行かれないもんなんですか?

TBY:だからさ、もうちょっと我慢してたら…。

そんり:死んでるでしょ!

TBY:いや…ちょっと我慢すれば病院にかかれるから、もうちょっとだけ我慢しようって(笑)

そんり:やだ!私だったら救急車呼んじゃう!だって一階から二階に移動するだけで、2回も休憩するんでしょ?

TBY:だからさ、横断歩道とかも怖くて渡れないの。青信号の間に…。

二人:渡りきれない…(笑)

TBY:目の前の信号は青なんだけど、2回ぐらいやり過ごして本当にキワキワまでゆっくりゆっくり歩いていって、めちゃくちゃ気合い入れて、その次の青信号で必死に渡って、でも渡り切った頃には点滅してんの。普通に街を歩いてても、後ろからどんどん人に抜かされるしさ。で、自分では太っちゃったって思い込んでたんだけど、それは浮腫んでたんだよね。お医者さんにも、めちゃくちゃ浮腫んでますねって言われて。今思い返してみれば、その時は正座も出来なくなってたんだよね、浮腫みすぎて。そうやって順番通りに考えると、全部病気に繋がるんだけど、一個一個は分かんないわけで。

そんり:ああ、なるほど。

TBY:ちょっとずつ悪くなるから、体がそれに慣れちゃって。だから歩くスピードも遅くはなってるんだけど、歩けなくはないな…とか。家の布団の上げ下げも、1回づつ休憩入れないとシンドいんだけど、なんとかやれてるしな…とか。でもその頃には、夜寝てると動悸で目が覚めるようになってて。さすがにこれは病気だよな…って。

そんり:気付くのが遅すぎる…。

▼ショックで嘔吐

TBY:だから、早く大学病院行かなきゃなと思って。で、やっと2月に入って大学病院に行ったら、これはあらためて入院して、ちゃんとカテーテル検査をしないとダメですって言われて。

そんり:はいはい。

TBY:で、うちの父親ってアルコール依存症的なのがあって、プラス睡眠薬依存症みたいなのもあって、プラス、昔大腸ガンの手術をしてて排泄トラブルを抱えるようになってて。夜中に不眠症で起き上がって、アルコールでフラフラになって、家の中を歩き回って、排泄トラブルで家の中を汚しまくるみたいな。それを母親一人に始末させるのは、ちょっと大変だなって思って、入院も迷ってたの。

そんり:それは仕方なくない?自分の旦那だよ?

TBY:いや、大変だよ。朝起きてそんなんなってたら、絶対イヤだしさ。母親も大変じゃん。

そんり:そりゃそうだけど、それどころじゃないでしょ。

TBY:そう、その時はそれが分かんなかったからさ。で、言われたの先生に。「ほっといたら死にますから、ちゃんと入院して治療してください」って。最初、市民病院で肺高血圧症だと思いますって言われた時に、自分でも色々と調べてさ、難病ではあるんだけど薬を飲んだら治るんじゃない?ぐらいに思ってたの。だから、そんな大事になると思ってなくて。でも主治医の先生に、そうやって怒られたから入院して。最初は検査入院で一週間の予定だったんだけど。

そんり:でも、主治医の先生に「ほっといたら死ぬよ」って言われたじゃないですか。怖くなかったんですか?

TBY:そこが呑気なんだと思うんだけど…。

そんり:まだ、薬飲めば治るわって思ってたと。

TBY:そうそう。治療を拒絶してたワケじゃないからさ。治療したくないじゃなくて、そこは通院でなんとかしたかったんだけど、でもちゃんと検査しないと、肺高血圧症って確定診断も出来ないから、その為には心臓にカテーテル入れて、肺動脈の圧力を調べなきゃいけないらしくて、その検査はもう入院不可避なんだって。そこまでおおごとだなんて自分は思ってなかったけど、だったらちゃんとしなきゃなと思って、その頃から落ち込みだして(笑)でも一週間したら帰れるんだよね?って、まだ思ってて。

そんり:それは、家が心地良いからじゃなくて、ご両親が心配だから家に帰りたいんですよね?

TBY:そうそう、とにかく家の中が荒れてしまうのがとにかくイヤで。母親が泣きながら床を拭いてたり、怒り狂って台所から怒鳴り声が聞こえてきたりっていうのを、ずっと経験してたから、もうとにかくその状態になるのがイヤでイヤで仕方なくて。それをとにかく何とか、最小限に食い止めたいわけ。

そんり:その時のご両親の反応はどんな感じだったんですか。

TBY:検査も一週間で済むみたいだから、すぐ出てくるよって。どうも心臓が悪いらしいんだけど、薬飲んだら治るからって説明してて。だけど心臓のカテーテル検査をしたら、普通の人は肺動脈圧力の正常値が20~25なんだけど、僕の場合は60近くあって。

そんり:それ3倍じゃん。肺動脈爆発しないの?

TBY:いや、爆発はしないと思うけど(笑)でもちょっとこれは…ってなって、このまま入院してすぐ治療開始してくださいって。そこでガーンってショック受けちゃって。この後の生活が、病人の生活になっちゃうんだって思って。治らないにしても日常生活が営めるレベルまでは戻ると思ってたんだけど、先生の話を聞いてると、どうも戻らないみたいで。

そんり:ああ、出来ないことが出てくる?

TBY:うん、大袈裟な話じゃないんだけど、ひょっとするとほぼ寝たきりみたいになるかもしれない、酸素吸入しなきゃいけないかもしれないって。で、僕の場合は慢性心不全もあったから。

そんり:え?もともと?

TBY:いや、病気のせいなんだけど。肺動脈が狭まってしまった結果として慢性心不全の状態だから、基本安静にしてないと生活が営めないみたいな感じで言われて、それでちょっとショック受けちゃって、検査終わって病室に戻ってから、嘔吐しちゃったのね。

そんり:それはショックすぎて?

TBY:うん、たぶん。血圧がガッと下がっちゃって体も痺れてきちゃって、先生がすごい大騒ぎして脳梗塞なんじゃないかって、CT撮って。たぶんそれは、その時のショックが大きかったからなんだけど。

そんり:いや…色んな不幸が怒涛のように襲ってきてる人の話って、バカにしてるとかじゃないんですけど、笑っちゃうんですよ(笑)

TBY:不幸じゃないよ、別にそんな不幸じゃないって(笑)

そんり:いや『奇跡体験!アンビリバボー』でしょ!(笑)

TBY:『ザ!世界仰天ニュース』みたいな(笑)

そんり:そうそう。

TBY:で、その時はそれもショックだったけど、親に伝えなきゃいけないのがすごい気が重かったんだよね。どうも肺高血圧症って珍しい病気だからあんまり情報がないんだけど、情報が無いなりに調べると、やっぱり親なんか古い「家庭の医学」とかで読むから、本当に死んじゃう病気だって思っちゃったみたいで。実際に、この病気に関して良い薬ができたのがここ15年くらいの話で、それ以前だと、診断がついた頃には余命3~5年とか、そういうレベルの病気なんだって。でも幸い日本は、肺高血圧症の治療とか研究が割と進んでいる国らしくて、薬の選択肢も多いんだけど、親は死ぬって思い込んじゃって暗くなってて。

そんり:そりゃ、そうだわ。

TBY:自分は自分で、主治医の先生から今後の治療に関して、ここまで症状が重いと飲み薬ではちょっと追いつかないので、心臓近くの静脈にカテーテルを留置して、家でも24時間点滴っていう形で薬を入れ続けるっていう治療法があるんだけど、それしか選択肢がないだろうって言われちゃって。その薬が特殊で、体内で30分くらいで分解してしまうから、絶え間なく入れ続けなくちゃいけなくて、そのための留置なんだけど、しかもその薬は作り置きが出来ないから、カテーテルの消毒とか薬の調合も含め、毎日、決まった時間に、全部自分でしなきゃいけないっていうことがめちゃくちゃ気が重くて。

そんり:そうですよね。それをやらないと、あと数年しか生きられないんですもんね。

TBY:治療の選択肢がそれしかないって言われたもんだから…少なくともそれをやってればまあなんとか…って言っても、それでも統計上ではあと10年くらいとかなんだけど。

▼“生きる”をみつめなおす

そんり:それ聞いた時どう思いました?もうそんなんだったらいいわ、ってなりませんでした?

TBY:それは思わなかったかな。なんか自分はそこら辺が楽天的って言うか呑気なんだと思うんだけど、そんなにすごい死ぬとも思ってなくて。

そんり:でもその状態って、ずっと点滴ポンプに繋がれてる状態じゃないですか。そうすると、出来ないことがたくさん出てくるでしょ。

TBY:そうそう。たとえばその薬を入れ続けなきゃいけない結果、湯船に入れなくなるわけ、カテーテルの露出した部分から雑菌が入っちゃう可能性があるから。またその薬は温度が高いと分解が早まっちゃうらしくって、体が温まりすぎてもいけないから、風呂に入るにしてもシャワーで20分くらいで済ませるのが決まりらしくて。で、薬の性質上、さっき言ったみたいに作り置きができなくて、最長で48時間くらい。てなると、泊りがけの旅行も難しい。で、カテーテルの消毒も、患者用の教則DVDを入院中に貸してもらって見たんだけど、ぜんぶの手順が30分くらいかかるんだよね。え?これ毎日やるの?って。

そんり:それじゃ働きに行くのも、大変ですよね。

TBY:そうそう。これ毎日やるのかってプレッシャーがすごくて、全然心の準備が出来なかったのよ。でもその入院中に、もうカテーテル留置の手術をすることが決まってて、どんどんその手術日が迫ってきて、次の週にはやりますって言われて。それかなり強い薬だから、その人の症状や体格に合わせたちょうど良い量をはかる為に、入院中に実際にカテーテル点滴で薬をいれてたのね。だけどたまに閉塞って言って点滴の管が何らかの理由で詰まって、薬の流れが止まっちゃうこともあって、その都度、看護師さんに対処してもらうんだけど、止まってた薬が体に流れ込んでくるのが分かるぐらいに強い薬で。それをこれから自分で一生やっていかなきゃいけないだって思うと、やっぱりなかなか心の準備が出来てなくて。

そんり:はいはい。

TBY:大学病院ってそういう珍しい病気や重い症状の患者さんが集まってくるところだから、看護師さんは慣れてて「大丈夫ですよ、みなさん慣れますよ」って励ましてくれるんだけど、これから先のことを考えると、やっぱり気持ちは重くて。

そんり:うん、そうだよね。

TBY:でもカテーテル処置の手術日はどんどん迫ってくるし、これは絶対自分で、なんか今の状況を前向きになるような何かをしないと、絶対に薬で事故るって思って。とにかく退院したら友達に会おうとか、とりあえずネタっぽく話をして、友達に見せびらかしてちょっと笑ってもらおうとか思って。あんまり友達にそんなに頻繁に連絡する方じゃないんだけど、久しぶりに連絡取ったり、けっこう電話で喋ったりとかね。結構そうやって話することで励まされたりもして、退院したら楽しいことをちょっと見つけようって思ってね。長期の旅行はちょっと難しいかもしれないけど、一緒に一泊どっかに出かけたり、なんか食べ歩きしたりしたら良いじゃんみたいに、言ってもらえて。

そんり:うんうん。

TBY:あとTwitterとかでさ、闘病アカウントの人とかさ、大人になってから事故で障害を負ったことを明かしてる人とかいるじゃん。変な話なんだけど、そういう人達の日常の暮らしぶりを見るだけでも、すごい励まされた。あと同じ病気の人のブログを見つけて、病気とうまく付き合ってる人達を見たりして、なんとかなるかなって、心を落ち着かせる方向に持っていって。そしたらある日、点滴薬とは別に飲み薬も3種類ぐらいあるんだけど、僕は点滴薬が効きすぎてるみたいで、高心拍出性心不全の症状も出てるって言われて。

そんり:踏んだり蹴ったり…。

TBY:肺高血圧症っていわゆる難病だから、治療のスタンダードがなくて、個人個人で薬の量を調節して行かなきゃいけないんだけど、自分の場合、今飲んでる薬が効きすぎてるんじゃないかって。狭まってる肺動脈を広げることが治療の目的なんだけど、慢性心不全の状態を少しでも改善するっていうのも大事なことで、それがちょっとバランスが取れてないんじゃないかっていうことになって、ひょっとしたらカテーテル点滴をしなくてもいいかもしれないっていう。

そんり:ああ、飲み薬だけでいけるんじゃないかって?

TBY:そうそう。在宅持続点滴療法ってQOL(クオリティ・オブ・ライフ)がすごく下がっちゃうから、そこまでしてこの薬を入れる必要はないんじゃないかっていう話になってきて、急にバタバタ話が変わって、もう本当に週が明けたらカテーテル処置をしましょうねぐらいに迫った時に、しなくてよくなったぞっていう話になって、看護師さんにも、そこまで悪くなってた人がカテーテル処置をしなくて済むっていうのは聞いたことがないって言われて。

そんり:でも最初カテーテルを入れなきゃってなった時、ご両親はどんな感じでした?会ってないからわからない?

TBY:うん、そうだね。コロナで面会禁止だったからね。でも入院してみたら、案外頑張ってたみたいで。家庭内はそれなりに回ってたみたい。

そんり:やれるんじゃん!

TBY:いや、でも無理はしてたと思うよ。

そんり:入院中に、この状態で死ぬまで生きてくんだ…って考えたと思うんですけど。

TBY:うん、これはさ、たぶん今独り身だったから良かったんだよね。付き合ってる人がいたり、家族がいるから頑張れるとかでもあるんだろうけど、自分はやっぱ付き合ってる人がいたら、なんか逆に負担になってたと思うんだよね。

そんり:相手に悪いなって思っちゃうってこと?

TBY:うん。

そんり:じゃあパートナーがいなくて良かったなって思ったってこと。

TBY:うん、思った。そっちの方が気楽だった。でもこれからの自分の人生、なんとかして少しでも充実させたいって思ったから、何かしようって思ったね。でもそこにパートナーって存在は全然浮かばなかった。

そんり:それまでは、パートナー欲しいなって思ってました?

TBY:いない時間が長すぎて、パートナーがいないって状態がデフォルトなのね(笑)だからあえて欲しいとかもないんだけど、そのうちいつか出来るだろう…くらいには思ってた。老人ホームに入って茶飲み友達くらいは…って思ってたの。でも出来なくても別にいいやって思ってた。だからそこに関しては何も思ってないんだけど、これからの人生をどう充実させようって思った時に、パートナーって存在は全く浮かばなかったな。

そんり:ああ、いても逆に負担になっちゃうって感じですか。

TBY:負担になるって言い方はちょっとあれだけど、自分が相手に対して心苦しいって感じるっていうか。今のところはやらなくて済んでるけど、カテーテルを入れっぱなしで生活をしなきゃいけないってなった時に、やっぱりいろいろ制限されちゃうから。

▼アウトロ

そんり:今後の人生を充実させようって考えた時に、何が一番大事でした。

TBY:なんだろう…一人の時間を確保するのが、まず大事で。

そんり:ああ、なるほど。お父さんはさっき言ってたみたいな状態だし、お母さんもそういうお父さんに長年連れ添ってきてたから、メンタルも不安定で、ずっとそのケアをされたんですもんね。そりゃ、一人の時間が欲しくなりますよね。

TBY:そうそう、そこは自分も含めて共依存みたいになってたとは思うんだけど。それはまた別として、ベタだけど友達との交流を復活させようとかね。この歳になると、だいたい家庭があったりパートナーがいたりして、同じノリで付き合える相手ってなかなか少ないんだけど。でも今までは、自分の状況を言い訳にして、周りの人間関係を遠ざけてたってのもあった。でも病気をしてからは、もうちょっと人との関係を手繰っていかなきゃな…くらいには思ってる。

そんり:うんうん。

TBY:ある程度寿命が限られると、したい事って自然と出てくるんだよね。本当に普通のつまんない事なんだよ。旅行したいなとか、行ったことのない場所に行ってみたいな、とか。だから今までさ、そういう人の体験談を聞いてても全然ピンときてなかったんだけど、本当に自分の命に期限があるって聞かされた時に思うことって、今までしてなかったことを体験したいっていう、そういう素朴な気持ちなんだよね。今まで充実してた人がね、今まで自分の人生充実してたから満足ですとか、今まで家族と一緒に暮らしてきたから、この後も家族と共に過ごしたいですって人も、当然いるんだろうけど。でもなんか自分の場合は、今までやってきてなかったこと、やらなくてもいいやって思ってたことが、結構自分の中で大事だなっていうのが分かって。

そんり:うんうん。

TBY:残り10年って区切られた時に、親もたいがい高齢者なので、なんとか両親は看取りたいなって。

そんり:それが第一なんだ。

TBY:とりあえず両親に泣かれるのは、本当に嫌だから。

そんり:良い人過ぎる…。

TBY:とにかく湿っぽく泣かれるのが嫌だから、先に両親を看取ったら、あとはいいわって。ただ10年って区切られた時に、それも微妙だなって(笑)

そんり:この年齢だと、10年後はまだ両親が生きてる可能性は全然ありますからね。でも病気ってキッカケがなければ、友達と会いたいとか、好きなことをしたいとかって気持ちには、気付けなかったってことですよね。

TBY:そうそう。このままでいいやって思ってたフシはかなりあるので。人生に対して諦めムードっていうか、たいがいクソだからそれで良いわって思ってたから、自分も周りもね。死ぬのは別に良いんだけど、いつか死ぬし。だけど生きられる時間が決まったんだったら、その限られた時間を少しでも充実させようっていうのは、すごく平凡な事なだけど思いましたね。

そんり:うん、わかります。私ももう五十路近いから、普通に考えて寿命が20年くらいって思った時に、どうせなら楽しく生きたいって思ったっていうのは、少し気持ちが分かる気がします。

TBY:本当にそうなんだよね。だから皆が言ってることは、本当なんだなって思った。人との繋がりが大切だとか、楽しく生きようとか。時間が限られると、生を充実させたいと思うもんなんだな…とか。死ぬのが嫌だとかじゃないんだけどね。

そんり:うんうん、わかりますよ。

TBY:今は薬を飲んでて、当然副作用もあるんだけど、カテーテル入れっぱなしって考えてら、全然マシだしね。で、闘病アカウントの人とかもいてさ、そんなの比べることじゃないんだろうけど、そういう人に比べたら自分なんてまだまだ頑張れる余地があるって思うしさ。

そんり:うん、ありきたりだけど、きっとそういうところに辿り着くんでしょうね。

TBY:ありきたり過ぎて、すごい詰まんないんだよね(笑)

そんり:普通は気付けないですよ。私だって言葉の意味は分かってるけど、身に沁みてはまだ分かんないから。今日は本当にありがとうございました。

TBY:いえ。なんか病気ネタだけど良かった?ありがちすぎて(笑)

そんり:いやいや!貴重な話が聞けて!

TBY:こちらこそ、ありがとうございました。

〜終〜

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