四方田犬彦「人間を守る読書」

2000年~2006年にかけて著者が発表した、書物と作家についての文章をまとめた本です。「生のもの」・「火を通したもの」・「発酵したもの」と章立てされ(レヴィ=ストロース料理文化を分析した図式、料理の三角形にならったものですね)、最後に「読むことのアニマとしての100冊」がつけ加えられています。

取り上げられている書物はジャンル、国籍も実に多彩で、古典から発表当時の新刊に至るまで万遍なく紹介されています。発売から10年以上が経った現在でも良質なブックガイドとしての価値を失っていないのですが、改めて読み直してみて、とりわけ冒頭に置かれた「前書きにかえて」に感銘を受けました。

「前書きにかえて」では本書の題名の由来と、書物を読むということについて語られています。
まず、題名の「人間を守る読書」とは批評家のジョージ・スタイナーが唱えていた言葉です。少年時代にナチスの迫害を怖れ、ニューヨークに逃れた体験を持つ彼は「人間というのはもはや守られなくなってしまった存在である。われわれは生きているのではなくて生き残っているにすぎないんだ。」という認識をもちました。そして「だからこそ、そういう野蛮な時代には読書が人間を守る側に立たなければいけない。野蛮で暴力的ではない側に人間を置くために必要なんだ」と主張したのです。

スタイナーのこの言葉は1970年に発表された「言語と沈黙」の中で唱えられたものです。これを受けて四方田さんは、(この本の発売当時の)2007年においても人びとは非常に殺伐として不寛容になっていると分析し、だからこそあえて書物を読まなければならないと訴えています。

では「書物を読む」とはどういうことなのでしょうか。四方田さんによると豊かな読書とは数を多く読むことではなく、「読み直すに値する本をみつけるということに尽きる」ということになります。私もまったくその通りだと思います。
そして四方田さんは「書物は情報の束」ではなく「何かを伝えようとする意志なのです」と述べます。だからこそ「読書は体験になりうる」と四方田さんの論は進んでいきます。「書物を読むということは現実の体験なのです。体験の代替物ではありません。そしてそれ以上に、体験に枠組みと深さを与え、次なる体験へと導いてくれる何かなのです。」この言葉に共感する読書好きな人は多いのではないでしょうか。

書物を読むことで読者は書物の意志に触れ、その声に耳を傾けることで、書物と深いコミュニケーションを築き上げることができる。この意義は現在においていっそう重要なものになっていると思います。

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