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越前敏弥『いっしょに翻訳してみない?』


『ダ・ヴィンチ・コード』や角川文庫からのエラリー・クイーンの諸作品の新訳などで知られる翻訳家の越前敏弥さんが、2023年の夏に行った特別授業をまとめた一冊。オー・ヘンリーの短編『二十年後』を題材に、5人の中学生が翻訳に挑むという内容です。

「英文解釈」ではなく、「翻訳」なのがミソで、表面的な意味をとることにとどまらず、翻訳作業を通して、生徒たちが作品の表現のニュアンスや作者のしかけを読み取っていく力をメキメキとつけてくるのが伝わってくるのが本書の何よりの魅力です。まさに副題の通り「日本語と英語の力が両方伸びる」講義なのです。

題材となったオー・ヘンリーの小説は短く、比較的平易な文章であるとはいえ、まだ英文法を学んでいる途中の中学二年生にとってはいささか荷が重いのではと読む前には感じていましたが、越前さんの巧みなリードによって生徒たちがどんどん英語を読み、翻訳を通して作品を深く読み込む面白さに目覚めていくのが素晴らしい。

読者も読み進めるにつれて、現在のAI翻訳の限界や英語の学び方、プロの翻訳家のテクニックが分かってきます。例えば設問の一つに「a thousand miles」をどう訳すかというのがあります。越前さんは「1500キロ」と訳しているのですが、なぜ「1000マイル」にしなかったのか。正確には1マイルは約1.6キロなのだから「約1600キロ」の方が良さそうなところをなぜ「1500」なのか?ただの距離一つの訳にしても、そこには翻訳者の翻訳観が反映していることが越前さんの解説によって明らかになっていくところなどは実にスリリング。「この特別授業を通して、わたしは文学作品を翻訳するにあたって重要だと考えることの大半を話したという手応えを感じています」(あとがきより)という言葉は決して大げさではないことが分かります。

最終回では生徒それぞれの翻訳が披露されているのですが、その中には越前さんが「はっきり言って、ぼくの訳よりうまいよ。すごい」と言わしめた翻訳もあり、感動させられます(率直に自分の訳より上と認める越前さんもまた素晴らしい)。

本書は入門書ではありますが、入門者から手練の読者まで、それぞれに発見がある優れた一冊なのです。

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