マニュエル・プイグ「赤い唇」

映画化もされた「蜘蛛女のキス」が有名なアルゼンチンの作家、マニュエル・プイグの2作目となる長編小説。
発端は、ブエノスアイレスの月刊誌にフアン・カルロス・エッチェバーレという男性が29歳の若さで結核により亡くなったという記事が掲載されたことでした。その記事を読んだネリダ・フェルナンデス・デ・マッサという、現在は人妻となっている女性が、フアンの母に手紙を送ります。ネリダとフアンは10年前恋仲だったのですが、そのとき取り交わした手紙が今はフアンの元にあるはずなので、それを送って欲しいというのです。
そこから読み進むにつれて、当時の恋人たちの様子や周囲の人間模様がだんだん明らかになっていきます。なによりもユニークなのはその書き方。小説らしい文章はほとんど現れず、冒頭の手紙に始まり、対話、モノローグ、役所の文書、架空インタビュー、占い師の託宣、行動報告書、雑誌「女性の世界」の人生相談コーナーに掲載された悩み事と回答など、さまざまな文章のコラージュで書かれているのです。はじめのうちは多少とまどうのですが、慣れてくるとこの手法によって人間関係だけではなく、当時のアルゼンチンの社会や若者たちの青春群像が立体的に浮かびあがってくることに驚くでしょう。ストーリーだけみるとほとんどメロドラマであるこの小説が、最後まで興趣深く読み進めることができるのはこの手法によるところが大きいですね。優れたマジシャンがカードやリング、鳩など多彩な道具を使って観客を驚かせ、楽しませるように、ここでのプイグは言葉のマジシャンとして読者を楽しませ、飽きさせません。
最終章はネリダの葬儀の描写からはじまります。夫が遺品を整理していたとき見つけたのは、冒頭でネリダが欲していたフアンからの手紙の束でした。夫はそのうちの一通を広げましたが、「こんなふうに干渉するのを、ネネは絶対に許さないはずだ」と思い直し、中を読まずに焼却炉に投げ入れます。手紙は燃えながら炉の中を浮遊し、そこに書かれていたフアンの愛の言葉が切れ切れとなって読者に示されて物語は幕を閉じます。最後まで独自の手法を貫きながら、読者に深い余韻を残す甘美な結末に脱帽。

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