見出し画像

「思いやる気持ち」が伝わらないのは・・・〜NVCひとり読書会・第2章

はじめに。
このnoteでは、私個人の気づきや解釈がふんだんに盛り込まれております。
NVCとして本来伝えていることと異なることがあり得ることをご了承の上お読みください。
正しい知識を得たい方は、NVC JAPANの公式HPをご参照されることをお勧めします。
http://nvc-japan.net/nvc/

思いやりの気持ちが伝わらない・・・


どんなに相手のことを思って伝えた言葉や提案でも、伝わらない、拒否されることは、誰にもよくあることです。
関係性や、「あなたの為よ!」と恩着せがましい言い方をしてしまうと
「余計なお世話!!」な場合もありますが、
いずれにせよ、
自分の大切な人を思いやって伝えたことが受け入れられないと、
どうしたものかとよけいに不安や怒り、悲しみが増します。

なぜ、相手のことを思って言ったことなのに伝わらないのか、
マーシャルは一つ、以下を理由に述べています。

(前略)しかし、わたしたちはさまざまな種類の「心のそこからの訴えを遠ざけてしまうコミュニケーション」を身につけて話したり行動したりするようになっている。その結果、自分自身も自分以外の人も傷つけている。自分の価値観にそぐわない行動をしている人に対し、「間違っている」「悪い」と道徳的な判断をする。(後略)

マーシャル・B・ローゼンバーグ「NVC  人と人との関係に命を吹き込む法(新版)p.53「まとめ」より

このコミュニケーションの話、本当に難しいと、私は思います。
なぜなら、誰だって道徳や正義を大切にするよう学び、
それに従って生きようとしていて、それに基づいた考えを伝えているのです。

例えば、
ルールやマナーをまだ身につけていない子どもには、しっかりしつけなければと親は考え、接しているでしょう。
私は、夫の健康が心配で仕方がないため、喫煙をやめてほしいと願っています。
「私はあなたの健康が心配でならない。
タバコは百害あって一利なし、健康被害の事実は、肺がんの生々しい写真さえパッケージに出している(他にそんなネガティブ・マーケティングってある?の意味)。
あなたが私たちの将来のために仕事を頑張ってくれているのはわかってる。
それなら、日々のタバコ代(@500x消費分)を貯蓄や投資に回した方が、
確実に健康的にも経済的にも楽になれるのに。」
このように”彼の健康を思いやって”伝え続けていますが、
現在も喫煙中です(「最近減らしている」とは言っていますが)。

相手を裁いていませんか?

なんで?マーシャルさん。
私の心配する気持ちも、リスクも代替案も提案しているのに…。

心の底からの訴えを遠ざけてしまうコミュニケーションには色々ある。
そのひとつが道徳を振り翳して人を裁くというものだ。自分の価値観にそぐわない振る舞いをする相手が悪いとか、まちがっているとほのめかすやり方だ。
そうした判断は言葉にあらわれる。
「あまりにも自分勝手なところが、あなたの問題だ」
「彼女は怠惰だ」
「彼らは偏見に満ちている」
「それは不適切だ」
など。
非難、侮蔑、こきおろし、烙印を押す、批判、比較、分析は全て、
形を変えた裁きなのだ

マーシャル・B・ローゼンバーグ「NVC  人と人との関係に命を吹き込む法(新版)p40

はい、私はタバコを楽しむ価値観は、全く持ち合わせていません。
「私はあなたの健康が心配」と、
アイ・メッセージで私自身の気持ち(不安)を伝えてはいますが、
それをかき消してあまりあるほどの「裁き」の言葉を発しています。
夫は間違いなく、「また責められてる!!」と居心地悪く感じ、
日々の頑張りに「ねぎらい」の言葉を、精神的な疲れに「思いやり」の言葉をくれない「道徳的に正しい」妻にガッカリしていることでしょう(涙)。

なぜ、道徳を振りかざすコミュニケーションを選んできたのか?

でも、そもそもの話。
今まで「”(道徳的に)正しいこと”を言えば、いつか相手はわかってくれる」と信じていたのはなぜ??
「痛いところ」を突かれて一時は反発しても、思いを込めて「正しいこと」伝えれば、相手はわかってくれる可能性があると、多くの人は信じていると思います。
この問いに、マーシャルは自身の考えをこのように述べていまます。

たいていの場合、人は成長とともに、自分がどう感じているのか、何を必要としているのかを語る言葉よりも、レッテルを貼ったり、比べたり、強要したり、評価したりする言葉を口にするようになる。
心の底からの訴えを遠ざけてしまうコミュニケーションの根底には、何百年も前から影響を及ぼしている人間の本性に対する考えがあるとわたしは思っている。
人は内面に邪悪なものを抱えた不完全な存在であると強調し、本来の望ましくない性質を矯正するためには教育が必要であるという考え方だ。
そうして教育された結果、わたしたちは自分の感情と自分が必要としていることを肯定できなくなる
そして大人になるよりずっと前に、自分の内面を無視することを学ぶ

マーシャル・B・ローゼンバーグ「NVC  人と人との関係に命を吹き込む法(新版)p 52

歴史をさかのぼれば、地球上どの地域にも見られる統治のための支配構造(あるいはヒエラルキー)。
そこからこうしたコミュニケーションは生まれ、使われてきた、ということです。
”大衆が奴隷のような心理状態になるように教育されることが、王や王族、貴族にとって有益”で、その後も政治や哲学に、こうしたコミュニケーションが使われてきた結果だとマーシャルは考えているようです。
民主主義や社会主義が発展した現代も、
王族の統治ではなくとも、各国の国家はその時代に即した戦略で政治を行い、
それに従うよう国民を導きます。
私自身も、70年代、80年代の日本の”一億総サラリーマン育成”を目指した教育を受けて今の自分があると思います。
本物の奴隷ではありませんが、
社会道徳を基準にして自分の内面を無視してしまうと、
「奴隷のようになる」というのは、実体験を通して理解しているつもりです。

<私見>「相手を指摘する」のではなく、「自分の価値観・必要としていること」を伝える


もう一つ、興味深い話がありました。
「暴力」についてです。
マーシャルは、「暴力は悪いこと」という誰も否定しなさそうな表現さえ、
以下のような例え話で別な伝え方があると述べています。
私はこれを読んで、改めて気づきました、
道徳や価値観の是非の問題じゃないと。
相手が自分の価値観に合っていないことをしているとき、
私は、「私の考えの方が正しい!」というおこがましい発言の代わりに
「道徳上、これが正しいでしょ」とすり替えているだけ。
これこそが、夫が私の言葉を受け入れない最大の理由ではないかと。

価値観に基づく判断は、どうすれば人生を素晴らしいものにできるかという信念を反映している。
だが相手がそれに応じず、こちらの価値観に反するふるまいに出ると、とたんに「道徳に基づいた判断」を下す。
たとえば「暴力は悪いこと。人を殺すことは邪悪だ」などと。
もしも相手を思いやる言葉を使うように育てられていれば、満足できない場面で暗に相手を指摘するのではなく、自分の価値観や自分が必要としていることを明確に述べることを学んでいただろう
「暴力は悪いこと」ではなく、
「暴力で争いを解決しようとすることをわたしは恐れる。
それ以外の手段で人間同士の争いを解決することを大切にしている」ということもできる。

マーシャル・B・ローゼンバーグ「NVC  人と人との関係に命を吹き込む法(新版)p42−43

この一節には、深い示唆を感じます。
そして、一番切実には、
相手への思いやりの伝え方の、「その前に在るもの(前提)」ついて。

さて、私は夫の健康に対する思いやりを、どんな表現・言葉で伝えようか。
それを選ぶには、
まず、私自身は健康について大切にしている価値観は何か、
それに基づいて、私が必要としてることは何かを考えてみるつもりです。


この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?