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『極私的エロス・恋歌1974』

『極私的エロス・恋歌1974』 1974年

監督:原一男
製作:加藤登紀子

あらすじ
監督・原一男との間の子供を持つ女性、武田との距離と関係を保つために撮影を始めた。家を出て沖縄に住み始めた彼女の後を追って彼女の生活と人間関係をカメラに収める。

極極極プライベート
『極私的エロス・恋歌1974』は、映画史の中でも際立って個人的な映画である。
かなりレアな作品でDVD化されるまではビデオが高騰してたらしい。
このレアな映画について書いたものを誰が読むんだという感じだが、一応記録として残しておこう。
被写体は自分との幼い子供を持つ女性。
彼女は子供を連れて家を出て、沖縄に移住してしまった。
彼女との関係を一本の細い糸でつなぎとめておくには、映画撮影を理由にするしかないということで原一男はカメラを回し始める。
カメラは彼女の移住先の住居に潜り込み、早速同居人との喧嘩を記録し始める。
カメラ位置があまりに被写体の目線上にあるから、本当に被写体が自然体で話しているのか、ある程度の演出が組まれているのかは分からない。
カメラが回っている状態で素人の被写体が感情を露にして、饒舌に言葉が話せるかというと疑問が残らざるを得ない。(プライベートだからこそ越えられる壁だとも考えられるが)
時が過ぎ、彼女が在日米軍のポールと同居しだすと、すぐに妊娠してしまう。
元カノが今カレとの間の子供を妊娠している状況を、彼ら二人がいる部屋で元カレが撮っているという、一般的には何とも想像しがたい状況であるが、原一男は平然とカメラを回し続ける。
この辺りはやはり原一男という特殊なドキュメンタリー作家としての肝が据わっているのが良く分かるシーンである。
加えて、本作の製作を担当した小林は、撮影中に原一男との子供を妊娠する。
つまり、元カレが今カノを連れて元カノに密着する映画を撮っているわけだ。
これまた異様な光景である。
しかも映画の後半、カメラは2人の自宅での出産シーン(武田は別れた在日米軍との子供、小林は原一男との子供)をそのまんま撮影してしまう。
産道から赤ちゃんがにゅるりと出てくるところをそのままカメラで撮ってしまうわけだ。
自分自身が一番緊張していたからピントがずれてしまっていたとナレーションで原一男は語るが、ピンボケがホントにミスだったのか、彼なりの防御策だったのか判断はつかない。
さて、これほどまでに自分の身の周りのプライベートを撮影出来て、かつ世の中に公開できるような人間はこの世に何人いるだろうか?

ドキュメンタリー映画というと、何かこう社会を巣食う問題にカメラを向け、「集団や全体」を捉えるという手法が主流ではあるが、原一男の場合は本作がスタートであるからか、徹底的に「個」にフォーカスしている。
その最たるものが本作であり、『ゆきゆきて神軍』であろう。
最新作は水俣病を何年もかけて撮りためてきた映画になるようだから、大きく方向転換が予想される。
ドキュメンタリーとしてどちらのスタイルが正しくて間違っているかは特にないと思うが、小生は原一男の作品を少々苦手に感じてしまう。
マイケル・ムーアもそうだが、カメラによって現実を捻じ曲げてしまうほどに介入していくやり方は、近年よく騒がれる「やらせ問題」や「フェイクニュース」と大きく関係している。この世間に広がる事実主義、真実主義が本当に正しいのかどうかについてもその内書いてみたい。

そんな金がありゃ映画館に映画を観に行って!