『呪怨:呪いの家』90年代を渦巻く呪いのリアリティ
エンニオ・モリコーネの訃報を目にし、定期的に訪れる巨匠との別れに悲壮感を漂わせている小生である。昨日はバイトも休みで朝からササッと授業を済ませてから、話題の作品を観ておこうということで『呪怨:呪いの家』をゆったりと嗜んだ。
面白くない前提で随分期待値を下げて観たのだが、誤解を恐れずに言うと1話の時点で存外しっかり撮られているじゃないかと感心してしまった。スタッフはどんな人なんだろうとクレジットを流し見していると、脚本は高橋洋、監督は三宅唱(映画美学校s)ではないか。これは小生、全くの情弱であった。事前情報を仕入れずに観られたのはある意味幸運ではあったのだが、オタクを標榜する小生がこの大物2人が参加している作品をこれっぽちも把握していなかったのは恥辱の極致である。簡単ではあるがここに謝罪の意を表したい。すんません。
なお、以下では本作はドラマではあるものの映画であるとして話を進める。面白くて演出が良けりゃそれはもう映画なのだ。ネタバレもほとんどしていないはずだ。
J-Horror(?)
Jホラーといえばハリウッドでリメイクされるほどには知られた特定のジャンルで、清水崇監督からブームの端を発している。個人的には、はっきり言って『呪怨』シリーズに良いイメージがない。基本的に低質なホラー映画というのは、ただ単に大きな効果音と音楽で観客を怯えさせるお化け屋敷的な性格があり、映画演出として高等テクニックだとはお世辞にも言えない。それよりもJホラーがブームになったころに黒沢清監督がよく撮ったじわじわと観客の精神を追い詰めていくような類のもの、見えるか見えないかの狭間で何かで遮られた向こうの世界に確かに何かがいると感じさせる演出(要はお得意のなびくカーテンといった小道具のこと)が含まれているほうが断然優れているし面白い作品であると小生は思う。そしてそれらはJホラーに分類すべきものではなく、純粋ホラー映画である。要は、口は悪いけれどJホラーは本質的な怖さを含まないアトラクション的映画であると言いたいのだ。
この文脈で小生は『呪怨:呪いの家』には期待していなかった。しかもネットフリックス制作の作品で当たりと言える作品も少ない印象があったから、貴重な休日をこれに費やして良いものかと葛藤があったのだが、1話30分というお手軽さもあり、軽い気持ちで観始めた。すると1話の時点で分かった。これはJホラーではないと。小生が言うところの純粋ホラー映画だったのだ。
なんせ6話構成の約180分の間に大きな音で怖がらせる演出は一つもない。むしろ足音、猫の鳴き声、うめき声といった繊細な音を散らばらせることで恐怖を効果的に引き出していた。びくっとするような怖さが苦手な人でも観れるようなホラーではあるから、それを理由に避けている人は安心して観てみるのをオススメする。
お話の方は脚本を高橋洋氏が担当しているだけあって、想像していたよりも複雑に組み込まれている。時間軸も空間軸も複数並行しているから、流し見していてはついていけなくなるかもしれない。それでも過去の高橋氏の脚本に比べれば随分と易しく分かりやすいよということも指摘しておく。
完全な余談ではあるが、最終話では人が消える描写があった。人が消える描写というのは一説には黒沢清氏発祥だといわれる。それまで人が映画から退場するとき単に死ぬという展開が普通だったが、消えるほうが怖いのではないかという発想から生まれた表現らしい。『回路』では人が消えると壁のシミになってしまう演出があった。アベンジャーズのインフィニティウォーでも人が塵になって消える描写があったという。小生が一番好きな消える表現は『ツインピークス リターン』の消え方で勢いよくキレのある音とともにローラ・ダーンが飛んでいく様は圧巻であった。そのキレのある消え方が『呪怨:呪いの家』でも再現されていた。頭を抱え震えだした人が一瞬で消え地面に肉の焼け跡だけが残るという、黒沢清+デヴィッド・リンチ÷2な消え方で素晴らしい描写だった。
90’s事件史
本編は1988年~1998年までを舞台に複数の時間軸とキャラクター軸で話が進められる。時代と並行して各シーンのバックでブラウン管テレビから当時の凄惨な事件が語られている。女子高生コンクリ事件をはじめ、松本サリン事件、阪神淡路大震災、地下鉄サリン事件、神戸連続児童殺傷事件(酒鬼薔薇事件)がさりげなく映されただけでなく、幼女連続誘拐事件(こちらはあくまでフィクションとして描かれる)の犯人であるMが主人公の一人に助言するシーンがあるなど、とにかく90年代に連続して起こった無惨な事件が登場する。
2000年生まれの小生は肌感覚としては90年代の時代を知らないが、これだけの実際の事件が立て続けに起きているのを背景に、呪怨が死の連鎖を引き起こしていくのはなぜか納得できるように感じた。バブルが崩壊し世の中が一気に暗くなり、オウム真理教が勢力を拡大させていった時代として俯瞰すると不思議にも今回の『呪怨:呪いの家』には妙なリアリティがあるなと若造ながら感じた。おそらく時代を取り巻く負の感情の表現として狙ってやっているのではないかと思う。
2000年代を生きている肌感覚としては90年代のような血生臭さは感じない。センセーショナルな凶悪事件はほとんど目にしないし(覚えてないだけかだとは思うが)、その時代感に伴って考えると、あの頃に血生臭いJホラーが誕生してヒットしたのも必然だったのかもしれない。
短くなったが、ネタバレを避けながら作品について語るならこんなところだろう。こんな文章を投稿しても誰が読むんだという感じだが、とりあえず毎日投稿するつもりではあるのでもし読んでいただいている方がいらっしゃったらお付き合いいただきたい。
最終話の終わり方が曖昧だったから、シーズン2もあるのかなと思ったが、そもそも『呪怨』はオムニバス形式のぶつ切りシリーズだからそりゃそうかという感じ。仮にシーズンが続けば観るけれど、髙橋洋氏、三宅唱監督ともに忙しいだろうから脚本と監督が変わっていれば観ない鴨。
今日は『ペイン・アンド・グローリー』を観に行くつもり。
みなさんもコロナに気を付けて良い映画体験を!
そんな金がありゃ映画館に映画を観に行って!