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20歳くらいのころ ~過食嘔吐





18歳で大学入学とともにひとり暮らしが始まると、気ままに工夫しながら自炊するのが楽しみになりました。一人分きっかり作って食べたあと、「美味しすぎ~」とジャガイモの皮むきや何から、また一から同じものを作って食べたり、食欲の向くまま一日お腹一杯5食+おやつ、が普通でした。


このころは一人自分のペースでいられることを楽しんでいました。あるとき男友だちに「最近太った?」と言われ、同じ時期に、憧れていた男性美容師さんからも同じように言われました。このとき初めて太った自分を意識し、恥ずかしい!何とかしなくては!と思ったのです。


過食嘔吐が始まったのは20歳のとき。


そのころには密かなダイエットが成功し、体重が減る快感とともに、周りの思いがけない反応を嬉しく感じていました。ある後輩女子からの微かな羨望のまなざしに優越感をおぼえたり。そして、この体重をキープしなければ!という強迫的な想いもまた、生まれたときでした。


けれど、沢山美味しいものが食べたいという気持ちがなくなったわけではありません。食べたい気持ちをおさえきれず、ついつい食べ過ぎた、と後悔しそうになっていたとき、「あの子は痩せるために吐くんだよ、ダメだよね」いつか友人が話していたのを思い出し、試してみたのです。


それからは、調子にのって食べ過ぎるたびに「吐いてしまえばいいや」と、気持ちを切り替え、吐くことで終了するような食べ方になってしまいました。必要な量以上食べたい気持ちがどうしても抑えられなかったのです。いつからかまるで娯楽のように吐くために食べるようになっていました。


症状が激しくなったのは20代前半、就職先から新しい土地へ引越してからです。私にとっては人間関係、もの、状況全て、そして何より自分をリセットさせられるような希望が感じられワクワクするものでしたが、それに負けないくらいの自分の不安な気持ちを認められないことでもありました。


自信はないくせに冒険心のようなものから自ら転勤を希望し、未知の自分に会えるような新しい生活に期待しました。このとき、4年くらいお付き合いしていた彼とキッパリお別れをするいい機会でもあると思いました。愛情深く大好きだったのですが、会うたびのプロポーズは私には重かったのです。


休みのたびに初めての土地を自転車で走り周り、思いつきで電車に乗り、さんざん歩き回りました。どこまで行っても一人きり。新鮮で楽しいという気持ちはすぐに寂しい、に変わりました。外出先でも大量の菓子パンなどを買いこみ、公衆トイレを見つけては一気に食べて吐くようになりました。


朝もほぼ毎日過食嘔吐してからの出勤でした。職場では普通に昼食をとり、仕事が終わるとまたコンビニやスーパーから買って帰ったものを無心にほおばるのです。気分次第でまた買い出しに行き、またその繰り返し。何度かの過食嘔吐のあと、くたくたになってやっと一日を終えられました。


頭の中が食べることで占領されることが多くなり、気がつくと一日中食べ物のことを考えていました。休日は朝から晩まで過食嘔吐で過ごすことが多くなりました。1日に7、8回繰り返すうちに日が暮れてくるのです。吐くための食物をもとめてコンビニやスーパーを渡り歩きました。


食物と一緒に押し寄せてきそうな感情を食べ、吐くと、スッキリとするのです。そうすると、ちゃんと次の行動に移れました。外では元気で笑顔を心がけていましたが、それを保とうとさらにプレッシャーストレスとなっていました。外出前には、準備にかかる前にはまず過食嘔吐が不可欠でした。


深い孤独感も、自信なく頼りたい気持ちも、ひどいコンプレックス引け目も認めたくありませんでした。人が苦手なのに営業職。自己嫌悪を感じるのも馬鹿らしいと思い、プレッシャーを感じないかのように振る舞う努力をしていました。自分の全てに蓋をして、感じないように生きていました。


どんな些細なものでも感情がやってきそう、と予感した時点でそれが過食への引き金になりました。嫌な感じはもちろん、いい感じも、です。友人との電話で大声で笑っていても、早く一人っきりになって食べたいという思いで頭がいっぱいになり、落ち着かずイライラしたりしていました。


ちょっぴり緊張する感じ、別れたはずの彼からの電話、人と会う約束、ささいな会話、仕事のこと、将来への不安、店で見た知らない人の様子や態度、同僚からの相談事、友人からの励まし、上司に叱られた言葉、褒められた言葉、お金のこと、時計を見て、ニュースを見て、音楽を聞いて、家族のこと、鏡の中の自分の姿、過去のこと、いっぱいになったゴミ箱、、、全てが引き金。とにかく食べる理由を無理やり作っているようですらあったかも知れません。


食べ物を粗末にしているという罪悪感はありましたが、誰にも迷惑をかけない感情や感覚を殺すツールとして使っていた気がします。スッキリ、ホッとするためのツールだから、もちろん自分にとっては問題なく、毎日感情を食物とともにトイレに流し、自立した強い人でいるフリをしていました。




全く自覚はなかったけれど、自分に向き合うことを必死で避けていたんだな、怖くて仕方なかったんだなと今はそう思います。そう伝えたところで、あのころの私は自分の正義を主張し、絶対認めなかったと思いますが。









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