とあるロック史の本を読んで、途中で読むのをやめた話

ロック史の本を図書館で借りた。
昔読んだ本とそんなに変わらないなぁと感じて飽きて返した。

歴史と表題に出てるが、実のところ著者の知ってることの垂れ流しで、文化としての変遷が読みとれず、昔の本に書いてあるようなミュージシャンの列伝が並べられてたり、本当に調べたのか?と思うような著者の持論が展開されてるので、歴史の本ではないと感じた(まえがきにそう書いてあったんだけど、それなら歴史ってタイトルにするなよ)。
参考文献も載せてあるだけで、どの箇所がどの本の出典なのかが全く無いので、本について書いた箇所以外は推測や妄想だよなぁ。

推測ばっかじゃ歴史にはならん。
推測の根拠を示すために出典が要る。
持論を展開してるつもりかもしれんけど、そりゃ妄想の垂れ流しなんだ。

昔の本の内容ってアップデートされないから、パルテノン神殿が白いまんまなんだよね。
それを鵜呑みにしてロックの歴史がこうであるって書いてあるのより、英語ウィキの方が論文の出典があったりして、まだ信憑性があると感じる。

日本のロック観ってのは、現地のロック観とは違う。
現地でリアルタイムだったのが遅れて入ってくるから、当時の人の認識って現地の人と違うと考えてる(ビートルズリアタイ勢の母の話を聞くと、歴史無茶苦茶だもんな。日本に入ってきたタイミングがやっぱ違うんだなと感じる)。

歴史的事実の部分と体験談は別に考えて本としてまとめてあるの少ないなぁと感じる。
大衆音楽の歴史をまとめるのに、大衆音楽の知識だけではまとまらないと感じている。
50年代からをまとめるにしても、公民権運動、ベトナム戦争などがどうしても関わってくるので、その経緯を知っている必要がある。
この辺りの政治的な物事が全く音楽に関わらないってことは無い。
芸術運動、文学運動の流れも要る。
結局のところクラシック音楽の知識も要る。

でもまかり通ってるのはちゃんとした本じゃなくて面白さとか、なんとなくの説得力なんだよな。
歴史って真偽じゃなくて娯楽だし、自身のイデオロギーの拠り所になってしまうんだよな。
何かしらの肩書きがあれば信用されてしまう。

本とネットは信用するな。
もちろんこの記事も。

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