見出し画像

目立つこと恐怖症の私が、150人をまとめるリーダーに名乗り出た学生時代の話【自己変容】

気づいたら1月が終わりそう!2021年、自己開示をしていきたいと思うので、まず一発目。

私の大好きなSHEの社員さんnotesの中で、まりさんの話題から、自分の自己変容について考え直してみました。

SHEに関われば関わるほど、自己開示が怖いものじゃないってことを、体感している日々です。

この自己変容が私の人生の全てではなく、また何回かあるものかもしれないし、自己変容したタイミングの遅い早いや、有無が良し悪しとは思わないけれど、書き起こしてみることで、共感する人がいたり、なにか変わるきっかけを探している人の糸口になれたらと思います。
私自身も考え方は変わったり、行動も少しずつ変わっているけれど、まだまだ模索中なこともあります。

自分の人生を振り返ったときに、感謝できるポイントを見つけたり、これから起こるかもしれない変化にわくわくする、そんな習慣を身につけようと思って。

恥ずかしがり屋さん【小学生】

関西人の両親のもとに生まれたわたしは、ウケを狙いに行くまでではないが、ウケないことは悪なのではないかという考えは少し頭の片隅にあったと思う。

そんな中、定期的にやってくる嫌な習慣が、日直。
私のクラスの日直の業務の中には、毎朝その日の前日や週末にあったことを話すという、小噺コーナーがあった。

上手におしゃべりができる子もいて、みんなが笑ってるあとに、私の話聞いても笑ってもらえなかったらどうしよう…つまらないんじゃないか…という妄想から、みんなの前で、話し出す前に、立ちながら泣いていた記憶がある。

ほんとは誰も責めてないのに。自分で勝手に周りと比べていた。

目立つことは怖かった

どうせわたしなんて【高校生】

自己肯定感。
当時はこの言葉を知らなかったけれど、知ったときに、スッと、自分の中に入ってきた気がしたのは、それが自分と周りの違いだと思ったからかもしれない。

具体的にいつ自己肯定感が低かったかと言われると、高校の部活真っ盛りの時期。
私は、中高一貫校で6年間同じ部活に所属していた。

ワクワクして入部。強豪校の部活ではなかったけれど、日々練習をするのが楽しくて、任意参加の朝練にも毎日参加していた。
誰のためでもないけれど、努力をすることを楽しんでいたし、それでいいと思っていた。

高校生になって、責任者や、パートリーダーなどの役割をもらう同級生がでてきた。
それまで何とも思っていなかったのに、突然に同級生と差別化を図られたような気がした。
しかもそれが、上手さでも、練習への熱意でもなく、学力で決まったように感じた。
ほとんど顧問の先生の一意で決まる形だった。

悔しかった。でもなんで悔しかったのか言語化できず、それも苦しかった。

もともと、別に目立ちたいわけじゃなかったくせに、阻まれると余計に、“もう私にはその資格もないんだ“と、これまた勝手に自己肯定感を下げていた。

今考えてみると理由は2点考えられる。

①役職を与えられている=存在を認められている
 役職がない=存在意義がない
②学力だけがすべての物差しになっている

このように感じていたのだ。

私は、学力は低いけど、部活への熱量は誰よりも高いのに、
学力の高い一部の人だけ存在を認められて、役職がない者は
存在を認められないような気がするのは、
すっごく悔しいのに、学力じゃ叶わないから
悔しいとも大きな声では言えない。

これが当時の私の気持ちを噛み砕いたもの。

存在意義を感じない理由が、学力にあるとさえ思って、なお自己肯定感を下げていたと感じる。

今考えてみると、全然そんなことないが。
役職を任されていた人たちも、熱量を持っていたし、彼らなりのプレッシャーなどもあった中、職務を全うしてくれて、そのおかげで部活が回っていた。それにすでに学力が高い人が、学業も部活も両立できるのは間違いない。

ただ、目立つのが怖かった私は、決して目立つために役職につきたかったわけではない。ただ、チャンスを取り上げられたと感じて、”リーダー”に憧れを持つようになる。

一番大切なことで、当時の私に伝えたいことは、
役職がある人ばかりの組織は回らなくて、フォロワーがいるからこそ
組織は成り立つ。フォロワーにしかできない参加方法があるということ。

そんなこんなで、

どうせ、学力で全てが測られる世の中なんだろ。

と、ひねくれていた私も、いい大学に出会うことができた。
(大学受験の経緯はまた改めて書きたいと思う)

そして、考え方は180度変わった

多様性が豊かにすると知った【大学入学当初】

大学では、高校までで私が出会ったことも無いような様々なバックグラウンドを持った人が集まっていた。
異なるものと交わることは時には怖いと思うこともあるが、いざ交わってみると、新しい発見の連続だった。

お互いに知らないものを知っている、知っていることを話すと驚かれる、
育った環境が違う、生まれた場所も違う、今住んでいる環境も違う

よく考えると当たり前のことだが、こんなにも違う人と出会う、しかもそれが毎日続く、ことが初めてで、身をもって実感した。
毎日の授業でのディスカッションでも、他人の意見を取り入れることで、自分では思いつきもしなかったアイデアが溢れ出てくる。

あの人もすごいし、この人もすごい。
みんな違ってみんないいとはこのことか!!!!

多様性は、豊かにすると学んだ入学から数週間の出来事、自己変容のきっかけだ。
この頃には、もう”自分なんて”という考えは忘れており、自分もひとりの個性をもっていて、すごいんだ殻を破れたと思う。

目立つなんて関係ないとも思っていた。だって、それぞれが違って目立つことは当たり前だから。

周りから特に”認められた”という経験があったわけでは無いが、みんなが一人として尊重されており、平等に機会が与えられている、この環境で、たくさんのことにチャレンジできた。

150人が恥ずかしがり屋だったあの”私”を見ている!?【大学生活】

入学してすぐのオリエンテーションの委員に立候補。
リーダーに憧れていた私には初めての経験。20人を3人でまとめることさえ難しかった。

続いて別の機会でリーダーをすることがあった。なぜか色々とスムーズなのだ。種明かしをリーダートレーニングで教えてもらった。

そのタネが、”フォロワーシップ”
前に立つリーダーだけでは、多くの人、ましてや子どもを率いることは
難しい。
それなら、前で引っ張るだけでなく、
後ろから押す役がいるのはどうだろう。
フォロワーシップは、表立ったリーダーではないけど、
裏のリーダーが持つリーダーシップの一つだった。

フォロワーシップというリーダーシップの形を新たに学んだ私は、眼から鱗だった。私が、高校生の時、悔しい思いをしたのはこの時のためだったのでは?と思うほどに。

そんな私が、満を持して、150人を率いたのは、サークルで出場したコンクールの団体責任者だ。そのコンクールは、毎年夏に行われる、1日で50万人を動員する、その分野では北半球最大のお祭りと言われているものである。

前に立つリーダーでありつつも、
自分が前に立たない部分では、フォロワーシップを発揮すること、
自分が前に立つ際にフォロワーシップを発揮してくれるメンバーに
感謝を伝えること。

学びを生かして、とても素敵な経験をさせてもらった。
気付いたら、リーダーの裏方具合も知ったし、目立つことも怖くなくなっていた。

社会に何か還元したい【さいごに】

目立つことが怖くて、機会を奪われたような被害妄想までしていた私が、自信を持って前に立てるようになるまでの、この経験を何かに還元したいとは、漠然と思っている。
なぜこれができたかをまとめると、こんな感じの認識変容があったのだと思う。

周りと違うことが嫌だ、こわい
他人と比べて自分は必要とされていない

ひとりひとり違うことは当たり前
名前のない色んな役割があってみんな必要

どのように還元していくかは、まだ模索中ではあるが、今できることを。

まずは、今回のように経験を書いてみること。

比べることで自分の価値を下げないで欲しいこと、ひとりひとりが価値を発揮できるということを、伝えられるように、これからも頑張ります。


この記事が参加している募集

#自己紹介

233,787件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?