見出し画像

【エッセイ】不完全な全知全能

はじめに

私は自分の道徳観や倫理観に自信がなかった。正しいと思っていたことや面白いと思っていたことを理解されないことが多かったし、ルールがそれを禁じている場合も多々あった。こんな人間には生きることを前提に考えると「自分が変わる」か「他人を変える」か「環境を変える」の3つの選択肢しか残されていない。「他人を変える」のは実に面倒で時間と労力がかかる。その上、不確実性が高い。「環境を変える」のは逃避だ。非常に楽ではあるが、案外コストがかかる。また、同様に不確実性が高い。となると残された選択肢は「自分が変わる」ことである。
一旦全て受容してみる。やれと言われたらやる。べき論は肯定する。個人間でも集団でも自分が包摂される環境でことごとく実行してみた。実に簡単だった。彼らの偏向を教師データとして学習し、確率の高いものをアウトプットとして出せばいいだけだ。つまり私は道徳や倫理を分類問題として捉えている。
やっと道徳や倫理の次元から抜け出したと思っていた。実際、その次元で話す回数は大幅に減少していたと思う。その間に私についたあだ名は「全知全能」や「森羅万象」だった。完全にイジられているが、道徳や倫理に関わらないことを公認されていた気がする。
しかし近年、意見を持ちその次元で議論することを強要されていると感じる。
実は、言語化という大層なプロセスまで行う目的は、書く前の今は分かっていない。なんとなく書きたかった。今までスタンスを取らないというスタンスで生きながらえてきた人間が、『多様性の時代』にどうあるべきか。その答えが欲しいだけなのかも知れない。
もしそうだとしたら、この稚拙な文章が出版されるなどで公開される必要がある。まともに育ててくれた両親だけには見られたくない。だから思考をまとめる程度に書き始めることにする。

若者の妄想

それなりに整理整頓された部屋でつけっぱなしにしたテレビを聞き流しながらスマホゲームに勤しむ。
最近耳にすることが多い決まり文句を、今日は名前も知らないバカそうな女性芸能人が発した。
「『多様性の時代』って何だよ。」
ゲームをしながら呟く。そして、毎度発布される召集令状を無視する。
「我々ひとりひとりが積極的に出来ることを。」
義勇兵による戦争反対派の徴兵、地獄だ。義勇兵は語る。
「お前もこの白くて綺麗な武器をとって戦おう。」
「きたねえよ。」
例えば、トマトが嫌いなら無理やり食べなくていい。消費するかしないかの選択権は消費者にある。我々はトマトの味を知る必要はない。
他方で、我々は様々な社会課題とその集団の目標や考え方について、なぜか知っている。あらゆる概念や事象に対して消費者であることを強要されている。食べたくもないトマトを無限に口に運ばれているのと同じである。正義とは食べたくもないものを食べさせ続ける拷問に等しいだろう。そして『多様性の時代』という食材を消費しないことはつまり人権が担保されないことに等しいと気付く。なぜなら、彼らは「普通に」食べている正義の主食を食べられない人間を、理解できず、もしくは認識できず、ゆえに彼らの多様性に包含できないからだ。
全員が美味しく食べられる主食を作れる、つまり多様性を適切に提供できるのは全知全能の神くらいだろう。最近はそう考えるようになった。そもそも「どうすれば多様性が実現できるか」という問いに対して、解決すべき問題に必要な知見やルールがどの領域に属し、どの程度あるのかは高次元かつ時事刻々と変化するはずで、恣意的に人間が与えらえれるものではないだろう。
一方で、全てを認知し許容し解決できるはずの存在(全知全能の神)を仮定できるにも関わらず、八百万の神のように専門職のような神がどんどん生まれている。
「流石にワンオペはきついから、分業制で。」
こんなことは言っていないと信じたい。論理性はさておき、完全な全知全能を仮定することは難しく、「全知全能は不完全だった」と仮定してもおかしくはないだろう。
もし不完全な全知全能の神がいたとして、分野のスペシャリスト(専門神とでも呼んでおこう)が集まる神界でどう過ごし、何を感じるだろうか?
スマホを置き、目を閉じて妄想し始めた。

海神と山神の喧嘩

今現在、私を含め12体ほど物質的世界を司る神が存在する。この世界では、なにかと言い合いの絶えない毎日が続いている。今日は海神と山神が喧嘩をしている。
山神は砂浜を山の一部と見なして影響範囲に加えたかったらしく、美しい花を植えていた。どうやらその花を海神が取ろうとしたらしい。
「この花は私が植えたんだから、私のものだ。」
「この砂浜は影響範囲、むしろ領域を侵したのはお前だ。」
双方の意見を聞いて仲裁しようと試みた。
「そもそも砂浜と海の明確な境界ってどこ?」海神に訪ねる。
海神は今現在砂浜の部分を指差した。「ここ。」
思わず笑ってしまった。
海神は付け加える。「夜にはここは海になる。」
なるほど一理ある。だとするとこの問題は、互いに納得いく境界を見つけるだけの作業なはずだ。砂浜は潮汐による短期的な海水位の変動に加え、海水準変動という長期的な変動、隆起や大陸移動など、この問題を解決するには彼らだけでは足りない。
「天気や引力にも依存するはずだよね。別の神に意見をもらおう。」
すると気が合ったかのように「我々の間の喧嘩だ」と主張する。
どうやら、自身の持つ問題領域外の情報は取り入れようとしないし、できないらしい。自分達だけで問題解決ができないと思われるのも嫌なのだろう。
次第に、感情をぶつけるだけの言葉が増えたり、一方しか理解できない理論で武装することが増えた。
ついには私もよく分からない単語が出てきた。
「どういう意味?」
海神に睨まれた。どうやら水を差してしまったらしい。山神もわかっていないはずだが、分からないと言うと負けるとでも感じているのだろうか、自分の領域で応酬している。もう質問はしないが、双方の言い分が少しずつわからなくなっていく。互いに理解しあっていないくせに、圧倒的な熱量で主張している。
集中力を高め、必死に双方の意見を追う。残念ながら集中力の問題ではないらしい。単純に彼らのフィールドにおいて私が劣っているというだけの話だ。ゆっくり話が聞こえなくなっていった。
どうやら、特定の問題から発生した喧嘩や対立において問題解決のための論点は、個人的な満足のための消費財としての論点となるらしい。
こういった馬鹿げた言い合いはよく見かける。その都度、都合よく近くにいて、なぜか都合よく相談される。でも今日は何かが違う。違和感がある。よくわからないが喧嘩している彼らがどうしようもなく輝いて見える。と同時に黒いモヤモヤが体にまとわりつき、息苦しくなるほど胸部を圧迫し始める。初めての感覚に襲われていると、嫉妬の神が目の前に現れた。
感情の神々は特別な存在だ。物質世界を司らないがゆえに、決まった形を持たないが何故か誰だかわかる。気持ちに応じてふらっと現れ、いつの間にか目の前から消えている。
「どうしたん?」
嫉妬の神が声をかけてきた。
この吐き気のする感覚を説明してくれる気がして疑問を投げつける。
「なぜ彼等はここまで必死になれるのか。」
「なぜ私は彼らみたいな感覚になれないのか。」
「自分はなんのための存在なのか。」
「なぜ馬鹿げた議論をする奴がカッコよく見えるのか。」
言語化しながら自分の持つ感情とその源泉をなんとなく理解する。嫉妬の神に腑に落ちない意見と時間を十分すぎるほどもらうと、次第に目の前の黒色が薄くなっていき彼が帰ったことに気がついた。

5体の海神の会話

海の特徴も幅を持つようになり、新たな海神が4体誕生した。彼らの会話は非常に興味深い。
同じ常識を持って話し、特段説明を必要としないため行間を飛ばすことができ、展開が早い。ちょっとした意見の違いを楽しみ、認めることができる。似た属性で集まる場合、意見が似ていることが安心感を生み、より深い意見まで言えるようになるのだろう。そこで生まれた小さな違いは、往々にして彼らから興味のみを抽出する。
彼らはそんなに似ているのだろうか。身の回りの環境やそれに対する考え方は、言語化され会話に使用される。薄っぺらく言語化されてはいないか。前提が微妙に異なっていてもおかしくないはずだ。ただ何故か上手く会話が進んでいるし、不協和がない。
「私にこれが可能だろうか。」
様々な意見の対立や深化、強化に巻き込まれ、派生して生まれる様々な概念を消費させられてきた。正しさとは何か、確固たる考えの芯がないことに気が付く。
またふらっと嫉妬の神が現れて聞く。
「今日はどうしたん?」
重く暗く絡みつくモヤモヤに苦しみながら、彼が解決できるとは到底思えない疑問を蹴りつける。
「私には近しい存在がないのか。」
「私は異質なのか。」
「彼らに属する必要があるのか。」
「孤独」という単語で要約されうる稚拙な言葉をぶつけられても、嫉妬の神は多分聞いてくれている。ここ最近頻繁に会う嫉妬の神は同じ類の疑問に様々なアドバイスをくれる。今までと同じように、十分な時間と意見をもらうと、彼が帰ったことに気がづいた。

ヒトと神

ヒトという生命体ができた。それすなわち、神にとっての評価概念の誕生であった。物体や現象に帰属していた神が人間の信仰心に帰属するようになっていった。
「どうやって信仰心を煽ろうか?」
最近は専らこの手の話題に神々が支配されている。そりゃそうなのかもしれない。与えられるものができ、やればやるだけ成果がハッキリ現れるのだから。
神々との議論のなかでいくつか提案した。
「願いを募集し適当なものを叶えて信仰心の強さへと理由付けさせれば?」
神々が現世に対して能動的に作用しだした。ヒトの野心と神々の野心が相乗的に肥大化している。
「野心か、羨ましいな。」
どうしても信仰心に執着しきれない自分がいる。自分が執着するものを持ちあわせていないからだろうか。信仰心を喜ぶだけの自信がないからだろうか。誰かに評価されることや尊敬されることが嬉しくないからなのだろうか。そんなことを考えていると、やっぱり嫉妬の神が声をかけてきた。
「どうしたん?」
でも今日はなんとなく理由がわかっていた。大体これくらいの気持ちになることも分かっていたし、別に息苦しくもならなかった。嫉妬の神は少し話すとすぐにいなくなってしまった。

大気の神との会話

今日は大気の神と会って話す予定がある。この間それなりに神妙な面持ちで「相談がある」と言われた。何事かと心配はしていたため、想定されるケースについていろいろ準備して会うことにした。
「なんか私地味じゃない?」
開口一番に予想外で相談事かもどうかもわからない質問をされた。時々こういった「やるべきこと」以外について聞かれることもある。当の本人は真剣に悩んでいるのだろうが、大抵の場合「どうでもいい」を喉元で止めるのに体力を使うような内容である。
どうやら大気の神は人間にあまり信仰されていないことを気にしているようだ。
「私がいないと生きていけないはずなのに、何故信仰されないのだろう。」
当たり前だろう。見えないのだから。彼らの身体を覆う、その物質は彼らにとっては視認できない当然の環境であり、改めてそれに感謝することなどほとんどない。例えば大気の神が「今日の空気はどう?問題ない?」と聞いたら、「空気ってなんですか?」「いや、そのあなたの周りにあるもの!」「何もありませんが。」こんな会話が繰り広げられるだろう。
正しく説明することが必ずしも正解とは限らない。この世界では共感すること(むしろ共感していると思わせること)や真摯に聞くこと(聞いていると思わせること)が望まれるのは既に学んでいる。忠実にこなそう。「間違っても集中を切らして論理的に説明なんてするなよ。」自分に言い聞かす。
「そうだね、確かに、うんうん、辛いよね。」ただただこういった語彙が増えていく。
こういったケースでは双方向のコミュニケーションなんて存在しない。私という動きを持った箱から当たりの玉をとってくる。
馬鹿馬鹿しい作業を今後も続けていくのだろう。今日は嫉妬の神は会釈程度で帰っていった。

誕生と消滅

最近若い世代の勢いがすごい。人間界で産業革命というものが起こって以降、モノが増えたらしく、毎日のように新たな神が誕生している。新しい神の多くはヒトの手で作られたモノを担当しているので、使用者が増えることで信仰が確立することが多い。信仰が確立すると決まって挨拶回りをする風習があり、今日も3体来た。
「今日からよろしくお願いします。」
形式的な挨拶とは裏腹に、彼らの目は希望と野心と少しの私に対する軽蔑を含んでいた。信念を持たない古参だと思われているのだろう。去りゆく彼らの背中をぼーっと見つめ、いつも通りのことを考えた。
逆に消滅する神も多い。余談だが訃報なんてものはこの世界にはない。知らないうちにいなくなっているから消滅と呼んでいる。
消滅した神々の多くは若くして消滅している。それだけ新たなモノに取って代わられ、使用者がいなくなったモノが多いということだろう。新人の神々は残念ながら、やがて現実を知り、次に見かけた時は希望や野心は消え失せ、緊張と焦燥のみが目に宿っていることが多い。自分が担当するモノに相当な愛着があるのだろうか。ヒトの生活が豊かになることなど全く気にせず、どうにかして信仰を維持しようとしている。
「どうせすぐに会わなくなるな。」
「これくらいで消滅するな。」
新興の神に会った際にいつからか考えるようになった。

最近は嫉妬の神に会わない

昔は気が合いよく話していた神と殆ど出会わなくなることがある。当時の心境や情景は今となっては色のついた空気のようだ。質量も質感も違う空気を感じていると、あの時真っ黒だったものが今では黄色や橙色になっていることにふと気が付く。
「そういえば、最近嫉妬の神に会っていないな。」
嫉妬の神に出会わなくなって以降、空気の色は全て似た色になり、どんどん薄くなっている。最近では無色の日常を送っている。
「あぁ、そうか。感情の神々に会えなくなるんだな。」
大きな変化があるわけではない。ただ今そこに在るから次の時間にもそこに在ることを続ければいい。
別れにおいて、会えなくなるタイミングは事前に知らされないことが多い。会わなくなった後に、もう会わない/会えないことに気がつく。だから、礼儀としてこの場を借りて別れの挨拶をさせていただく。
「ありがとう。嫉妬の神」

ゆっくりとした存在消滅

当初は喧嘩ばかりしていた海神と山神は今では仲良しだ。なんでも新しく誕生した神々が軒並み海と陸の資源を消費することで支えられている存在だからだそうだ。存在を守り、影響力を持つためには団結が必要だと感じたらしい。共通の敵は重要なのだろう。
神の数も多くなり、似たものの集団が幾つも構成されるようになった。グループ化が顕著になり、それぞれにリーダーを担う神が台頭している。
昨日の味方が明日の敵になることが普通かのように大小さまざまな社会を作って属し、感覚が近いだけの神々で喜びを見つけそれに生きることができ、対立する社会と闘うことでよりその喜びを大きくしようと生きることができる。集団ごとに評価尺度は異なり、集団が違えばその評価尺度を正しく記述することができない。彼らがここ最近で唯一身につけた能力は「印象的で簡単に環境や評価尺度を伝える能力」である。味方を得るために多くを捨象し、チープにした代わりに妖艶に描かれた看板を背負って歩いているように見える。
自分が変えたい何かが無くて、何を言ったところで彼等の価値観が揺るがないと諦めているから、この看板は綺麗なものに見えず、離れたところにいるから議論に加わることが出来ないし、それを悔しいとも思えない。
ここ最近は、都合よく任される仕事を適当にこなし、他の神からの質問に答え、空いた時間でこの世界と人間の世界で起きている出来事をぼーっと眺めている。
もう他の神も無理に私をグループに引き込むことをしない。たまに立場をはっきりしろと罵られることもあったが、うまく関係のないふりをしてかわす術を覚えた。お互い気付いているが、私はすでに不要の烙印を押された存在で、それすら心地よく感じている。
社会に巻き込まれなくなった。巻き込まれようとしなくなった。この状態が最適だと感じる。なんとなく近々消滅しそうだと感じていた。結局、私の存在意義は信仰ではなく神々の間に入ることだったのだろう。
意識が遠退いていくなか不思議と後悔がないことだけははっきりと認識していた。
「やっと消えることができた。」

若者の妄想

ひとしきり妄想を終えると番組が既に変わっていた。何をするわけでもない寝る前約1時間の日課だが、結末はいつも同じだ。変わらない結末に安心しながら、明日の準備をしアラームをセットする。
明日の朝には目覚ましが手をひき、全く変わらない日常を送らせるのだろう。全てを適当にこなし、それなりの評価を得て、それなりの金を得るのだろう。
「幸せを感じるべきだ。」

「続いてのニュースです。お笑い芸人の○○○○さんが自宅で亡くなっているところが発見されました。状況から自殺と推定されます。」
『時代』という圧倒的な暴力は人を殺している。白くて綺麗だと彼らが主張する武器で、時代からこぼれた者、時代を棄却する者を殺す。
利他的な粛清で満足感を得ているだけの義勇兵達は、人を殺しながら生きている自覚が足りない。
勝手に社会の大きさを規定し、爛々と武器を振り翳し立ち上がり、関係のない者を整列させようとする。自分達以外の人間がさも思考能力に乏しいがゆえに、正しい道に先導してあげているといった真っ黒な誇りを自慢しながら。
もう同じことを何度も何度も考えている。別に悲観的になることもない。ただ、これが在るべき世界の姿だと割り切っている。
テレビを消し、いっそのこと本当に消滅することを願いながら眠りについた。

あとがき

コミュニケーションの正解を他者に置く人がいる。一見器用に見られる彼らは、ありていに言うとできる人と見なされ、理解と共感を求められる。「お前は普通の感覚を持っているよな。」というような目で。上手く合わせると、理解者だと勘違いされて相談される機会が増えていく。すると、それぞれが相反することに気がつき、確固たる意見がない彼は自分を完全に消すことを選び、人や集団の属性に合わせたテンプレを作るようになる。
「互いを尊重する」ことより「自分達が認められる」ことを至上命題として動く人達や、安全な場所からの利他的で正義を装った暴論に触れつづける。そして、上手く相槌をうち、感じてもいない感情を表現する。唯一行っていることといえば、彼らの考え方や問題に共感せず客観的に理解し構造を把握することだけだ。
多分この若者は「多様性」のための場を提供できる者だろう。だが、議論が始まってすぐにズレた対立にイラつき、曲げられない主張があることに嫉妬し、自分は無力で不要であることを悟る。これを繰り返していくと、不要な存在であることに慣れ、感情は動かなくなり、その結果、ゆっくりと存在が無くなっていく感覚が得られる。「生きること」も「死ぬこと」も選択できない。むしろ誰かに殺されることを望んでいる。
誰にもこの文章を見せないつもりだった。でもやっぱり誰かに変化を与えられることでしか動かない機械である。卑怯者で最も利己的で、自分の考えを誰かに代弁してもらうことでしか話せない弱虫でもある。「若者」や「神」に喋らせるほど自分の人生に責任の持てない非当事者である。現状を変えようと努力する者や全力で生きている者にとって私は害悪でしかないことなど中学時代から知っている。この文書がマッチポンプな駄文であることにも気が付いた。だからいい加減、きっかけを持った誰かを探したい。
どうでもいいこの『多様性の時代』で誰かが私を殺し、存在を奪ってくれることを願って、

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?