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圧迫感から感謝まで

胸のあたりの
収縮感で目が覚めた。

体の中でその部分だけ
密度が濃いような
多少の圧迫感と
そこはかとない痛みを伴う
その感覚。

同時に息がうまく
胸に入っていかないような
そんな感じもある。

そして後から
記憶がやってきた。

そうだ。

昨日の出来事だ。

ああ、そのせいで私は今
この感覚の中にいるのだ。

と眠いままの頭で
思い出した。

寝入る前はあんなに
やさしい気持ちで
目を閉じることができたのに!

眠りについてからまだ4時間しか
経っていなかった。

私は左手を胸の上に置いて
何度か胸に息を意識的に入れ、

「もう少し寝よう」

そう思って
ベッドの中でねばったが
その努力も虚しく(笑)
目が覚めてしまった。

昨夜Facebookに
昨日の昨日の思いを書き終わり
コメントくださった人たちと
交流していた時には

本当に心から平安だったし、
状況に対してのサレンダーが
出来ていたと思う。

そして今朝起きてまた
次の層が現れたのだろう。

今はまだ感情は現れておらず
ただただ上記した
胸の辺りの感覚の他に
時折現れる喉の詰まった感覚が
あるだけだ。

これもまた涙になって
解放されていくのだろうか?

そう考えたらちょっと
その感覚が緩んでは温まり
まぶたにほんの少しだけ
涙が滲んだ。

目覚めてから何度か
未だ継続している昨日の出来事に
まつわる自分の意見について
考えそうになったが、

気づいてはそれを止め
ただただそこにある感覚に
意識を向けるだけにした。

頭をネガティブな思いで
グルグルにしてもいいことはない。

自分のネガティブな考え
薪をくべてわざわざ感情を
チャージすることと、

そこにある感覚や感情を
無視せず感じてあげて
そこにある自分の言いたいことに
耳を傾けることとは違う。

再び眠ることを諦めた私は、
自分の気持ちに
昨日よりさらに耳を傾けて
見ることにした。

掘り下げてみれば
そこにあるのは悲しみで
昨日はズドンとそこにいったのだが

今朝になってみると
その悲しみの手前に

「不公平だ」
「理不尽だ」
「裏切られた」

「こんなにしたのに」

そんな思考があることが
明らかになった。

でも冷静な状況を見ると
それほど大げさな話ではない
とも捉えられる。

うん。

そうしてその下あったのは
やっぱり、

「私は愛されていない」

と言う盛大な勘違いであった。

正気の時はそれが
盛大な勘違いだということが
わかっているが

こういう時には
体感する勘違いの方が
実際の真実よりも
ずっとリアルでヴィヴィッドだ。

「私は愛されていない」

浅くなっている呼吸を
深くしながら
それをあえて感じてみる。

ああ、涙。

でもまた冷静に状況を見ると
全然そんなことはなくて
ただそれを自分が
そのように解釈しているだけなんだ。

と言うことが頭では理解できる。

ここで大事なのは
頭で理解できたからって
その勢いで感情をねじ伏せないことだ。

「悲しいんだね」
「辛いんだね」
「愛されていないって思っているんだね」

私は私の傷ついた自分の
心の声に耳を傾ける。

そうすると状況を必要以上に
大げさに捉えている自分を
クスッと笑いたくなるような
感覚も生まれてきた。

でもまた胸のあたりは
重いまま。

自分の思考を眺めて
何かと現れるのは

とにかく私は絶対的に
まわりをコントロールしたい、
と言うこと!

(笑)

そしてすぐに作戦を
練りたがる!

(笑)

その作戦は時に
自分がご機嫌にして入れば
お菓子をもらえるよね、

みたいな取引も
入って来る。

いやいやそう言うの
全部手放して

ただただあるがままに
サレンダーしようよ、
私よ。

それは自分や世界が
やさしいところで
愛でできていると思い出す
ことでもある。

そうして私は
愛されていない証拠を
集めそうになる頭に屈せず、

愛されている証拠を
集めてそれを受け取ることにする。

今度はなんだか

「ありがとう」

と言う気持ちが生まれて
また少し涙が出る。

そうするとその状況の中でも
感謝したいことが
次々に心に絵としても
思考としても浮かび

温かい涙が
流れ出した。



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