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ぼくらが旅に出る理由

はだいたい100個くらいあって、という歌詞をくるりが書いていたことを最近知って、わたしは先代のシティ・ガールとしての母がオザケンの熱狂的ファンであったせいで物心つく前から彼の楽曲をわけもわからず聴いてきたわけで、とても感謝しているのだけどそれはそれとして(ちなみに、そのほかにサブリミナル的に仕込まれたのは忌野清志郎や、尾崎豊や、ユーミン、それから菊花賞、シーナ・アンド・ロケッツ、そしてスピッツ、洋楽は挙げきれない&把握しきれていないので省略します)、たぶん人には旅に出る人と出ない人とがいて、わたしは20代になってから一人旅をするようになって、自分はたぶん旅に出る方の人なのだと気がついた。

旅の空がすきだ。何を食べたらいいか悩むのも、限られた滞在時間をなるべく有意義にしようと努力するのも、ひとりぼっちの深夜の静けさも、しんと冷たいよそよそしい枕で眠るのもすきだ。移動中はとにかく考え事と読書が捗る。本を読むために長い距離を移動している気がする。昔、恋人が茨城の大学に通っていた時期があって、彼に会うために夜、仕事の後で東京駅の八重洲側のバスターミナルから高速バスに乗って、本を読みながら遠くまで行くのが本当に大好きだった。

わたしが今回旅に出る理由をいくつか挙げておこうと思う。

ひとつ、住んでいる部屋の契約期間の満了。賃貸契約は二年で、もともとこの部屋を借りた動機は母からの自立だった。それは概ね達成された、はずだ。そしてこの部屋を選んだ理由は当時のバイト先に近かったからだけど、そこはやめてしまったので実際ここに住んでいる理由はあまりなくて、更新料を払ってまでここにいたいかどうか、と考えるとイエスと言えなかったのがそもそもの発端である。(だって6万円で六畳の1K、木造で寒いし音は聞こえる、駅は三駅使えるけれどどれも10分以上かかる、狭い三点ユニットにはもう懲りた、一方でいいところは日当たりと大家さんが優しいこと。いつもありがとうございます。)
ふたつ、引っ越し費用が足りないこと。実はここ数ヶ月、生活が保てるギリギリまでバイトを減らしていたので貯金がない。残高が3桁しかない。これはめちゃくちゃウケちゃったので人に話したらもれなくドン引きされた。だけどわたし的には別に恥ずかしいことでもなんでもなくて、ただ働かないでいたらお金なくなっちゃうんだ、ウケる、というだけの話なのだけど日本は資本主義社会なので基本的に人々はお金を目に見える価値基準のものさしとして無意識のうちに利用していて、特にこの東京においてはお金がない、というのは致命的な戦力の足りなさと同義である。それゆえ人は金がないことを恥ずかしがるがそれは資本主義の中でお金を手に入れるには基本的になんかしらの能力が必要であるとされているからで、つまり持っているお金の額がその人のステータスとなり得るからで、しかしその逆はべつにそうでもないというか、お金がなくても別に人として欠落してるわけではないのでなんら恥じる必要はない。まあ父には「お前は貧窮というものを知らない」と別離に際して言われたし確かにそれはそうで、抜け出せない貧困の中にいる人からしたらわたしのいうことなんて何一つウソかもしれなくて、でもまあわたしがここ二年一人で東京で自給自足のサバイブをした所感として。とにかく引っ越すにも更新するにも、実際的な費用が足りず、それを捻出するためにこっからめちゃくちゃ頑張れば正直なんとかならなくもないかもしれないけど、そこまでして……?という気持ちがありモチベーションの伴わない努力は破綻するのでそれらは選択肢として無くなったわけ。
みっつ、アルバイトとして雇われている自転車メッセンジャーの仕事が、めっちゃ楽しいけど体力的にやっぱりきつくて、もろもろガタがきてしまって限界を感じたけどバイト辞めたりするのめちゃくちゃ下手くそで物理的な距離を取るしかねえと思ったため。
よっつ、昨年夏に新潟で行われていたアートフェスに一ヶ月の短期スタッフとして行って、スタッフ用の寮と称されたお化け屋敷みたいなボロボロのアパートで、同い年くらいの女の子たちと一緒にご飯作って食べて、それがめちゃくちゃ楽しかったのと、そこで出会った台湾人の女の子に衝撃を受けたから。彼女は28歳で(童顔で、どう見ても20になりたてくらいにしか見えないけれど)元保育士で、頭が良くて英語と日本語と中国語が話せて、ワーキングホリデーを利用して日本に1年間滞在している最中で、泊まり込みのバイトを転々としていた。わたしは目からウロコでなるほど、ワーキングホリデーってそういう風にも利用できるんだ、とか(ひとつの職場に期間中ずっと勤めなくてはいけないのだと思っていた)、外国でワーホリするのは勇気いるけど、日本国内でこの子の真似をするならわたしにもすぐできるな……と思って本当にこの出会いは素晴らしかった。彼女は期間が終了したあとまた別のバイトに行ったのだけど、一度東京に遊びにきて、わたしは東京駅まで迎えに行って一緒に祖母の家で着付けをしてもらって浴衣で花火を見て、わたしの部屋に泊まってもらって次の日は原宿を案内した。とても楽しかった。
いつつ、創作物からの影響。思うに、タナダユキ監督の「百万円と苦虫女」、それから矢沢あい先生「パラダイス・キス」でジョージがレンタルームに全ての創った服を置いてパリに行ってしまうシーン、それから角野栄子先生「魔女の宅急便」における、カバン一つのキキの「魔女の修行」「13歳で独り立ち」という概念など、わたしがなぜか昔から強烈に持っている「全てを捨ててどこかに行っちゃいたい願望」にはこうしてちょっと考えてみただけでもたくさんのルーツがあるらしい。
むっつ、そろそろ飽きてきましたか?わたしはあまり友達が多い方ではなく、いまは子供もいない、両親もそれぞれ健在で介護などの必要がなく、扶養している家族もいない、つまり本当にめちゃくちゃ身軽で義務やしがらみがなくフリーダムな状態で、でももしかしたらこれって人生のうちでとても稀有な瞬間かも?と思いできることはできるうちにやっておきたいので。明日どころか今日中に死ぬかもしれないしね、もちろん。
ななつ、はあちゅうさんの言うところの「人生まるごとコンテンツ」というのはわたしも非常に頷くところで、つまり人が読みたいもの・知りたいことって結局情報と体験なんですよね。自分の知らないことを知りたい。人の頭の中が見たいですよね。わたしもそうだし、で、それでわたしが提供できる体験ってなにかしら?と考えたわけです。わたしは別に強烈な恋愛もしてないし、ファッションやメイクは大好きだけど凡庸で、そもそもその世界は競争相手が多すぎます。わたししかやらなそうなこと、それはわたしの生き方そのものをコンテンツにしちゃうってことで、だってつまりわたしはどこまでいってもわたしなので、よしんば同じコンセプトで同じ行動を違う人がとってもそれはたぶん全然違うコンテンツになると思うんですね。わたしに思いつけるわたしの売り方はこれだった。

と、まあ、今のところ思いつく限りの「わたしが旅に出る理由」を並べてみたのでこれをこのままコピー・アンド・ペーストして恋人とバイト先の人に送っちゃいたいな。そんなことはしませんが……


#東京 #東京脱出 #人生 #女 #女の一生 #断捨離 #エッセイ

本を買います。たまにおいしいものも食べます。