抑圧された過去をもとに「今すぐ夢を叶えたい」としか思えない僕は異常か
やりたいことをやりたい。やりたいことしかやりたくない。多くの人はそうだと思います。もしあなたがいま「やりたいこと」をやれていないのなら、どうやって耐えていますか?楽しかった想い出や、好きな何かに注いだり縋ったりして、生きてらっしゃいますか?
この記事は、それが出来ない人間の話。
僕はとんでもない田舎に生まれ育ち、中学卒業まで選択肢の無い人生を歩まされてきました。田舎の公立小学校・公立中学校といえば、ネットで悪評を見たことがあるかたも多いかもしれません。この片田舎の学校では、僕は異物でした。人気者になろうとしても、常に邪魔が入りました。簡単に言うと仲間外れになっていました。いじめられていました。「周囲と違う」がために、暗い暗い幼少時代を過ごしました。
過去の記事にもありますが、まわりに同学年の友達の家もなかったため、公園で一緒に遊んだり、一緒に登下校したりなんて経験もありません。
高校入学でやっと選択権が与えられて、ここまでの学校の人間とは縁を切れました。が、そこで入った高校にも、そこまでの学校のような人間はおり、やはり片田舎からたった1人で通う僕は「周囲と違う」存在でした。
異物として遠巻きに見られていた17年を超え、高校最後の1年だけは本当に楽しく過ごし、大学進学。この頃ブームだった、とある活動を行うサークルで自身の価値観を作り上げることを夢見て大学へ。
しかしここでも邪魔が入り、進学理由だったサークルを早々と蹴って、振り返ると何も無かった大学時代を過ごす。
この大学進学前後~卒業までに、大好きだったものや大切なものを全て失いました。「ハマる沼は3つ持っておけ、それらが一気に無くなることはまずないから」というツイートがバズってましたが、その3つを僅か2年で失い、恋人もいなくなり、就活で何十社と落とされ疲れ果て。卒業した頃には、僕には縋るものはひとつもありませんでした。もう、楽しかった高校3年生のあの瞬間は、振り返っても手の届かない、遠い日々になっていました。想い出だけでは、生きるには辛すぎた。
職はなんとか希望した業界に入ったものの、擦り切れた心にブラックな労働ですぐに精神は壊れ、何度やっても転職も上手く行かずまたまた心は壊れてゆき。
人生の大半を占める暗い時期、縋るものもひともなく、こんなご時世だから娯楽も無く休日は家で寝ているだけ。人生ってこんなものなのか?
テレビをつければ、自分より年齢が若い頃には既に成功していたり、今まさに売れていたりというひとたちが簡単に映る。そういう存在は画面の向こう側だけではなく、職場を見ればすぐそばにもいる。どうして人生にこれほどまでの「差」が生まれているのか。こんな「差」はあっていいものなのか。
過去は変えられない・取り戻せないから、ただひたすらに前のめりに、今すぐ自分の夢を叶えたいと。一秒一秒流れ続ける人生の「差」を、一秒でも早く埋めたいと...そう願うのは異常なのだろうか。
この夢は、独りじゃできなくて、力も協力も要ること。だからこそ「積み重ね・実績がないと」と諭される。
だが、その積み重ねを行っている最中、自分はどうやったら耐えられるのか?どうやったら生きて行けるのか。それがわからない。それで生きていける未来が見えないし、心にもそんな余裕は持ち合わせていない。なぜなら、心は既に擦り切れているから。
楽しいことがなかったから、もう、生きていく上で、「自分の幸せ」を得たいという欲望が我慢出来ない。暗い過去、あまりにも「差」のつきすぎている「人生の時間を今すぐ取り戻したい」と願ってやまないのは、異常者なのだろうか。この夢を諦めたら、本当に生きる意味がなくなる。縋るものも支えてくれるものも無いことは、自分自身が一番よくわかっているから。
もういい加減、夢を叶えさせてくれ。そのスタートラインに立たせてくれ。まだ「努力」なんてものを求めるのか?抗いようのない人生の起点から数々の破滅を背負わされて、やっと生きている僕に。
そう思ってるひと、多いと思うんだけど...。どうなのかな。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?