天邪鬼
自分が感じる感情に制限をかけずにいると
色んな自分が見えてくる。
その中に、天邪鬼な私がいた。
私が迷っていたことを他人からこうしなさい、などと言われると途端にやる気が失せる。
それが一番ベストな方法や図星だとしてもだ。
迷いながらでも私は自分で答えを導き出したい。
先に答えを与えられると嫌になる。
これは勉強でも同じだった。
時期は違えど、数学を習っていた2人の先生。
例題を解説してくれて、問題を解く際には時間を与え考える時間を作ってくれる男性の先生。
片や、例題も問題もさらさら解き、答えを難なく与える女性の先生。
明らかに学力が延びたのは前者だった。
そして、ここではたと気づく。
私は自分が先に答えを与えられるのが嫌なのに、私は平気で人に答えを与えていたことに。
それが良かれと思い込んでいた。
私みたいにそうじゃない人もいる。
答えを導き出せない人であればいいけど
答えを導き出せる人には敢えて全てを言う必要はないことを忘れてしまっている。
1を伝えれば10を理解する人もいる。
理解度はそれぞれ。
人をみて伝え方を変える必要があった。
自分で答えを導き出せる人で導き出したい人に、私はそれを理解していながら、私の感情に歯止めがきかず、ただ知ってほしい、私は理解してるよ、と自分のエゴをただぶつけてしまった。
それなのに、自己満足感があった。
自分のいうものを確立できたと思い込んでいた。
エゴにまみれていると周りがみえないものだな。
天邪鬼な私から色んなことが見えてきた。
そんな私も私であると認める。
そして、必要ないものは思い切って削ぎ落としていこう。そうすれば、また何かが浮き彫りになり、より自分が生きやすくなるだろう。
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