死の真相
殺人事件や事故
突然愛する人を奪われた人の悲しみは想像もできない
犯人が憎くて、殺したくて、生きてることが許せなくて
残された人たちも、暗く悲しい闇に落ちてしまうだろう
裁判で真実を明らかにしたい、死の真相を知りたい、と会見で口にする遺族の方もいるけれど
私はそうは思わない
何で死んでしまったか、何で殺されなければならなかったのか、その答えが裁判で導き出されたって、到底納得できるものではないから
もちろん、犯人が捕まらないなんて論外だし、最後の瞬間を知りたくないかと言えば嘘になるけれど
こうこうこういうことがあったから、殺されました、事故にあってしまいました、と言われても、ああそうですかとは絶対にならない
裁判をして、自分を納得させようと躍起になるかもしれないけど、悲しみが深くなるだけな気がする
では、被害者はやられ損なのか、と憤る気持ちもある
あるけど、それは違う
違うと思うしかない
きっと天罰が下る、自分が下さざずとも、いつか天の裁きが下ると信じるしかない
憎しみに囚われるよりも、亡くなった愛する人が真っ直ぐに天国に昇れるように祈りたい
天国で、痛み苦しみ悔しさ悲しみ全てから解放されて、微笑んでいてほしいと願う
生まれた意味は確かにあった
短い生涯だったかもしれない、無念だったかもしれない、理不尽な最期だったかもしれない
でも、それでも
生まれた意味はたしかにあって、人との繋がりも、これからの未来も失われたのではないと信じる
これからの未来は遺された人が紡ぐことができる
復讐に燃えた人の最期が哀しく切なく、後味の悪いものである事実を知る度に、そんなことを思う
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