アラジンという資本主義社会にとって残酷な物語

今、金曜ロードショーで実写版「アラジン」を観たところだ。
アラジンは好きな作品なので、実写版だけでもこれで3度目だ。

ただ最近ちょっとした悩みとか、あといつものPMSで心が不安定だったので、少し偏った見方をしてしまった。



アラジンという物語は、資本主義社会にとって残酷な物語だ。



いや、アラジンに限らずディズニーは割とそうだが、アラジンは特にそう感じる。

資本主義社会は、言うなれば「努力次第で好きなように生きられる社会」だ。
逆に言えば、努力なしでは最低限度の生活しか保証されない。
もちろんそれだけでも幸せなことだが、欲しいものを手に入れたり、それなりの信頼や地位を得るためには相応の努力が必要だ。


それが、なんだ、ジャスミンは。


不自由な身であったとはいえ、誰もが羨む王女として産まれた。
しかも割とセキュリティもガバガバなので、厳重に囚われているわけでもない。

その上生まれながらにして強くて賢くて美しくてお金持ちで人々から尊ばれて。
親からも侍女からも大事にされて。

そんな彼女がさらに、アラジンやジーニーの功績で王の座を得て、好きな人と結ばれて。

お金で買えるものは全て持ってた上に、お金で買えないものも努力なしに手に入れたのだ。



え、なんなの、羨ましいが過ぎるんだが???



もちろん作品への批判のつもりはない。
「熱い努力物語!」だと思って観てもいないので、ジャスミンの泥臭い苦労話など盛り込まれてたまるかとさえ思う。
好きな作品だからこそ劇場で2回も観た上で金曜ロードショーでも観たのだ。


ただ、こんなに素敵なおとぎ話は、観る人やその心の状態によってはとても残酷だ。


生まれながらに恵まれた女の子がその特権を活用していろんな挑戦ができるのもまた、資本主義である。
お金持ちの家に生まれた子は、「お金なくなったら頼る人がいない」「お金稼がないとチャレンジする資金もない」という悩みも、惨めな気持ちも、見にくい嫉妬心抱えなくて済む。

そんな「プリンセス」が存在する現実世界と同じことがおとぎ話の「プリンセス」にも起きているということが、鑑賞3度目にして初めてたまらなく「悔しい」と感じた。



あーあ、羨ましい。
私もプリンセスになりたかったな。




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