主語を大きくしてしまいたくなった時は歴史に習う

日本人って

男って、女って

年寄りって

今の子って


つい、

○○ってこうだよね。って言ってしまいがち。


主語を大きくして決めつけてしまうのは自分の視野を狭めてしまうので良くないなぁと思うので、できるだけ控えたい。「傾向として」、という前提ならいいと思うけれども。


だって世の中には沢山の人がいて、沢山の映画や本があって、社会集団があって。いろ〜んな情報ソースのうち、1人の人間が見ているのはほんっっの1側面にしか過ぎないから。


高校まで田舎に住んでいた私が東京の大学に出た時も、今までの物の見方がだいぶ変わったなぁと思います。勉強に対する姿勢とか。友人との関わり方とか。


転職した時も、「社会人はこうあるべき」みたいな考えがガラッと変わりました。

例えば、前の職では休みの日でも仕事の電話がかかってきましたが、今の職場では残業するにも正当な理由が要る。

前の職場ではきっと「仕事なんだから当たり前。」だったのでしょう。

それが今の職場では「業務時間とプライベートのメリハリはつけるべき。」で、「業務時間内に終わらせるべき。残業代が払われてることを心得るべき。」という考えです。


こんな風に、ちょっと環境が変われば考え方や常識、周りの人間の生き方も変わるから、『今の自分の世界』で主語を大きくして「○○はみんなこうだ」と決めつけて嘆いてしまうのはもったいない。と思い、控えつつ、やっぱり勝手に色眼鏡かけてしまうことが多いのです。

でも、やっぱり「女ってこういう傾向ない?」「日本人ってこうじゃない?」と思ってしまう。そんな時、どうしたらより広く正しく物事を認識できるのか。


私は、歴史に習うことにしています。倣うではなく、単純に習う。

もちろん歴史を見れば全部解決するわけじゃないですが。


例1

最近見たネットの記事で「大学全入時代、ゆとり世代は自分の人生の選択ができない」という趣旨のものがありました。みんなと同時期に受験をし、長いモラトリアムを過ごして、みんなと同じような就活をする。結婚適齢期には多様化する婚活市場で婚活、云々。

一見、確かになぁと思います。


では、ゆとりがなんだとか言う昭和の方々はどうだったでしょうか。時を戻そう。

義務教育。ここまでは同じですね。

その後はと言うと、終身雇用。花嫁修行。お見合い結婚。家業の後継。学徒出陣。

もっと戻しましょう。

政略結婚。集落。男は狩猟、女は採集。みんなで作る王の墓。みんなで納める年貢。

何が言いたいか分かりますね?

ていうか、筆者さんの周りでは大学進学が当たり前だったからそう言えるだけで、大多数が進学してるわけじゃないですよ...。まず歴史よりも周りを見るべきでしたね。


例2

最近、中国から始まった新コロナウイルスが流行していて、日本では中国人立ち入り禁止の張り紙とか、中国人というだけで嫌な見方をする人がいます。もちろんそんなのは可笑しなことだと、考えなくても分かりますね。そう、可笑しなことなんだけれども、「日本人は差別好きだからな」と言うのは主語が大きすぎます。主語が大きすぎて視野が狭くなる典型的な例ですね。


では歴史はどうか。

確かに部落差別や職種差別があったのは日本の歴史だけ見れば事実です。

しかし、日本人は、というのはあたかも他の国の人は差別をあまりしないかのような印象を受けます。そうでしょうか。

だとしたらなぜユダヤ人は迫害されていたのでしょう。なぜキング牧師は公民権運動を続けたのでしょう。カースト制度は。奴隷制度は。民族間紛争は。

主語を大きくするのは視野が狭く「今」「身の回り」しか見えていないから。視野を広げると、「案外そうでもなかった」ことが分かるはずです。


逆に、主語を大きくしたいならちゃんと包括的にした方が漏れがなく、反論ひいては論争が起こりにくいです。

「ゆとり世代は」、ではなく「人間みな何時も自分の意思だけで人生切り開けないよね〜」

「日本人は」、ではなく「人類っていつまでも差別してるよね〜」

ほら、反論の余地がないでしょう?


歴史に習うといえば、温故知新という言葉があります。歴史に習えば昨今のウイルス騒ぎも冷静な見方ができますし、むしろ自分の意思で情報を得られる安心さに気づけます。

もちろん、感染者当事者や、身近に感染者がいる方は落ち着いてなんかいられないでしょう。それはそうですよ。


でも、ただメディアがワイワイ騒ぎ立てるのに乗じて「中国人は汚い!」「日本の政府は使えない!」「こんな時にイベントをやる団体は頭おかしい!」「リモートワークを導入していない企業はブラックだ!」などとワイワイ騒ぐ前に、温故知新してみませんかね。


諸団体の対応は本当に間違っているのか。単なる結果論ではないのか。そもそも輸送機関が発達したグローバル社会で感染を防ぐ方法なんてあったのか。


歴史に習えば、人間には不可能なこと、今の時代だからこそ不可能なことが分かって寛容になり、不用意な争いも防げます。

逆に、今の時代だからこそできることも見えて冷静になれます。


「歴史の授業なんてなんの役に立つんですか?」なんていう子供の質問も、私にとってはこれが答えです。まあ「学校」という狭い世界のなかではなかなか理解しにくいということも、「視野の狭さ」という観点からも頷けますけどね。


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