見出し画像

天正遣欧使節

大木の切り株を腰掛代わりにして、風に吹かれてつらつらと思いを巡らしていると、ふと、自分は若い頃、夢を描き、大志を抱いて、生きていただろうか、とそんなことを考える。                     ひところ流行った栃木の反省猿じゃないけれど、森の中、私は大木に手を伸ばして、よく反省するが、今回はちと違う。

不甲斐ない今の状況を恨んでいるというのも違う。
小さなプライドなど捨てて、素直に好奇心に従って、一度しかない若い時期を生きていたら、きっと違う世界を見れたかもしれない、という今では叶わない羨望に近い感情だ。

そう思ったのは、あるネットニュースを見たからだ。
「天正遣欧使節」というものを、みなさんはご存じだろうか?
そのワードくらいは、学校の授業で聞いたかもしれない。だが、その詳細を知っている人は少ないだろう。
その使節としてヨーロッパ諸国を訪れたのは、伊東マンショ、千々和ミゲル、原マルチノ、中浦ジュリアンの少年四人。

NPO法人東京オペラ協会が彼らをモデルにして公演を続けていたらしいのだが、この度、それが映画化されるのだという。
代表者は「天正遣欧使節」について、「現代においても忘れられてはいけない少年たち」と語っている。
「でも、なぜ、いまごろ?」
という疑問がわくかもしれない。
「今だから、こそ」
私も訊かれたら、代表者に成り代わり、そう答えるに違いない。

実は私はかつてある雑誌の取材で、この少年たちを知り、興味を持ち追いかけたことがあるのだ。アイドルの追っかけ心理に似ているかもしれないが、それほど彼らは魅力的なのだ。

頃は天正、信長、秀吉の時代というから、どのくらい昔かと言えば、相当な昔だ。
分かりやすく比較すれば、ペリーが黒船で浦賀沖に現れて、江戸の人々を驚かした時より250年以上前の話である。すごいよね。
この時代にわずか十三歳の少年たち四人が使節として日本で初めてルネッサンス華やかなヨーロッパを訪れたのだ。しかも現地では市民らの熱狂的な歓迎を受け、ローマ教皇やスペイン国王にまでも会っている。

普通、学校の歴史の勉強では、このことは詳しく教えられない。一般的に近代ヨーロッパに日本が出会うのは、先述したペリー来航で、実は250年以上も前に、そう言う歴史的な出来事があるのだ。

その頃は当然、船の旅だ。
それがどれくらい危険なものか、想像できるだろうか。         行く末は風に任せて、などと呑気なことも言えない。          カリビアンでもないのに海賊には襲われるし、船の強烈な揺れは相当なもので、実際、伊東マンショは病気にもなっているし、千々和ミゲルは五臓六腑も吐き出されるのではないかと思った、と語っている。         そうして二年半もの歳月をかけて、ようやく、ポルトガル・リスボンに辿り着く。                                それから八年半もの長きに渡り、若き青春時代、彼らは故国を離れていたのだ。

「何が彼らをそれほど突き動かしたのだろう」

それは彼らが信仰するものがそうさせたかもしれない。          彼らはその一途に信じる者のために命をかけることをもいとわなかったかもしれない。(実際はその背景に稀代のイエズス会の宣教師ヴァリヤーノの企てがあったのだが・・・)

だが、私はこうも考えるのだ。
江戸でも京でもない、西九州の田舎の純朴な少年たちが、なぜそのような、燦然たる一代壮挙を成し遂げられたのか・・・確かに彼らは神を信じたかもしれない、しかし、一方で彼らは単純に自分の未来を信じていたのではないか、ただ若者特有の新鮮な好奇心だけを頼りに真っすぐ突き進んで行ったのではないか・・・。

過去の出来事と侮ってはいけない。
歴史的事実はいつも現代に住む私たちに、その生き方を問いかける。
「若者よ 君は 一体 今を 未来を どう生きるのか と」

良心に従って行動したことが必ずしも報われるとは限らない。
四人の少年たちがようやく帰国した祖国は既にキリシタン弾圧の時代であった。彼らは翻弄され、それぞれに波乱万丈の「その後」を経験する。

伊東マンショは故国ではさしたる社会的影響をあたえることもなく病死し、中浦ジュリアンは穴吊りの刑にて殉教。原マルチノは追放され異国で病死。千々和ミゲルは棄教し、武士として仕えたが、両方から異端者として見られ、不遇な晩年を送る。
しかし、そうした中でも、恐らく彼らは若い頃自分たちがした行動に対しては、一ミリの後悔もなかったのではないだろうか、と想像する。むしろ若い頃に、風を受けて真っすぐ進む帆船のような生き方をしたことを誇りに思っていたのではないだろうか。

現代社会は閉塞感に満ち満ちている。
SNS全盛の時代は便利ではあるが、全てが管理され、他者の眼を気にしてばかりで、そんな環境では、きっと、若者たちも常に緊張を求められ、本来の伸びやかさを欠いて、そうした生き方しか出来ないのかもしれない。

だけど 若者よ
そうした時代だからこそ、かつて遠い昔に若者として真っすぐ行動した少年たちがいたことを思い起こして、あなたたちも一度しかない人生を生きて欲しい。                               小さなプライドは捨てて、夢を描き、大志を抱いて。            結局は自分しか作れない自分の人生なのだから。大切に。

あんた、どの面下げて、そんな偉そうなことを?
と言いたいんだよね。
分かるわかる。

私は既に年寄りで、愚か者で・・・だけどだからこそ、本気で若いみんなにはそうして欲しいと思ってるんだ。

頼むぜ。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?