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コンプレックスは何か、と訊かれたので、○○と答えたら、贅沢ですね、と返された。
それはないだろう。コンプレックスはあくまで個人的なもので、そりゃあ、もっと深刻なもので悩んでいる人もいるだろうけど、当の本人にとっては、コンプレックスはコンプレックスだ。
それでお前は何がコンプレックスだと答えたんだ、ですって。
はい、私は自分の声がコンプレックスです。
わー、それは贅沢だ。それはないっしょう、と、今、通販番組のスタジオでの奥様達の反応のような声がまた聞こえた気がするが、人に訊かれて、言えるものはこれぐらいで、私だってもっと鬱屈したコンプレックスもあるけれど、それはここでは言えない。


何がコンプレックスかって、私はそこそこの大男なのだが、声が異常に甲高い。
若い頃はまだ良かった。勢いでしのげた。だが、トークの達人を自負する私はおまけに早口なのだ。
喋るだけで、分別をわきまえたはずのいい年の男が渋さのかけらもない、おっちょこちょいに見えてくる。
そのうえ、最近では会話の途中、愛想笑いするときに声が裏返るようになった。踏んだり蹴ったりである。

音楽は最近よくロッドスチュアートやブルーススプリングスティーンを聴いている。
それはコンプレックスの裏返しで、二人とも決して美声ではないが、いわゆる味のある渋い声をしている。森山周一郎や城達也とまでは言わないが、もう若くはないのだから、私はきっとそういう大人の雰囲気のある声に憧れているのだと思う。


最近、私は一大決心をした。
普段から自覚して、低い声で話そうと。そう思った。
パートに出ている職場でもそれを実践した。
だが、数日で頓挫した。無理して作った低い声は通りにくい。しかもこういう時期で、職場ではみんなマスクをしている。
わたしと会話する多くの人が、ひところ話題になった野々村議員の謝罪会見のように、耳に手をあて、「はあ?」と聞き返すのだ。こちらが号泣したくなった。


声にはコンプレックスがあるが、子供の頃、私は腹話術が得意だった。
腹話術の第一人者と言えば、今ではいっこく堂だが、私が憧れたのは、川上のぼるである。                           トランクから坊やの人形を出して、漫談を始めるその姿がカッコよくて、私も人形を片手にそれを真似て練習した。
友達の前で披露すると、それが思いのほか、受けた。
特に人形がおならをするところが、大受けだった。
普通、腹話術は口を動かしてはいけないから、パ行が続くおならは難しいのだが、私の場合これが見事にはまった。
だが、今から考えれば、その年頃はおならのネタは大抵は受けるものだ。家族の前でも披露して、これも受けたが、これはもう、ただのお情けの笑いである。


前にここの投稿で、馴染みのドラッグストアーの話をしたが、今もドラッグストアー通いは続いていて、先日、奇妙な光景に出会った。
買い物を終えてレジに向かうと、いつもとは違う若い女性が立っている。
その後ろにこれはよく見知ったパートのおばさんが見えた。
若い女性の名札を見ると、「管理栄養士」と記してある。
「おおっつ」
私は店内に「管理栄養士おすすめ」のPOPがあれば、余計なものまで買ってしまうほどの「管理栄養士」崇拝者である。
そうか、いつものパートのおばさんは管理栄養士の手伝いをしているのだ、と初めは思ったが、どうやら違っていた。
レジ打ちが終わる段階になって、若い方が言った。

「袋はどうなさいますか?」
「大きいほうを下さい」
「一枚5円になります」

何気ないいつもの会話だが、なんかいつもと違う。
声が二重に重なって聞こえるのだ。
私はすぐに気付いた。
小さな声だが後ろでおばさんが一言一句間違いなく同じように呟いている。
どうやらレジの作法を教えているのはベテランのおばさんの方で、若い女性は新入社員だったらしい。
何故そんな現場で教えることになったのか、経緯はわからないが、おばさんはよかれと思って、店のマニュアル通りの客対応の言葉を大真面目に後ろで呟いているのだった。

「ポイントカードはお持ちでしょうか?ありがとうございます。ポイントがたまっていますが、お使いになられますか?」
「じゃあ、端数の65円だけ使ってください」
「申し訳ございません、一度に使えるポイントは600円からでございます」

二重になって聞こえてくる言葉に、私は思わず、
「これ、船場吉兆の女将のささやき、やん」
と思ったが、もちろんそれは口には出さず、
「お会計は・・・」言われた金額を払った。
と、「ありがとうございました、またお越しくださいませ」とそんなきまり言葉までもおばさんが後ろで呟くものだから、もう少しは苛立っていたのだろう、若い女性は、食い気味に言葉を被せて、最後に「んんん」と喉に絡んだ痰を気にするような奇妙な声をあげた。

「今のは幻覚?」
店を出て、駐車場まで歩くうちに、ふと思ったが、
「それにしても、おばさん、上手いこと、ポイントカードの発音してたなあ」
と妙なところに感心した。
「いや、あれは別に腹話術ではないんだから、口は動いてもいいんだ」
思い返したら、急に思い出し笑いが止まらなくなった。
笑いながらも、私は声が裏返らないように、気を付けているのだから、世話がない。


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