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日本にはお茶がありその一期一会には、アイデンティティとして誇りみたいなものを活かされて来た。そんな時、珈琲の味覚に衝撃的な変化をみた。苦くて甘いストレートブラック珈琲

 

深煎り珈琲が好きになる部屋を創ると云う一手は、僅か2畳の部屋に拘りの「縁なし畳」に炉を切ると云う物でその意匠は、究極の和のテイスト [ japanese modern.]

  これはフィクションとノンフィクションをブレンドしています。エッセイ風な自分への記憶。

深煎り珈琲が飲める部屋を創ってしまった。2畳の縄文畳に炉を切った設えは、和モダーン「 PROLOGUE 」

◇ 落陽が迫る頃に手漉き和紙の貼ってある西側の障子に色づいた影が映った。それは晩秋を物語るそんな風に揺らぐ紅葉[momiji]の輪郭だった。

   

庭先にはその紅葉の下に妖艶なホトトギスが終焉を告げ様としているその傍らには、和水仙の球根は、地上から宇宙に繋がるべくその自由を求めて顔を出し始め、早くもオフホワイトの蕾が明日にも1番花を咲かせ様と解放感で満たされている様だ。

話を戻して雨戸板の小さな節の穴からの自然のプリズムが成す様に紡ぎだす影絵は、「針穴の写真機」の様な想いに馳せた。

◇ 解体寸前の空き家物件の自由度が高さ

丁度良い2畳ほどのレトロな畳の部屋と云うそれは、実に素朴な狭い物件を探していた。そこに偶然の物件が有った。

古い建物だから自由に改造しても良いらしいと云う天から降って湧いてきた様な話が届き開封のためのペーパーナイフを添えた。

元々は、とある画家がアトリエにしていた空間で解体寸前と云う話しをその本人に偶然と云うより自然な流れにたどり着いた。

僅か2畳間の部屋があり障子も襖も壁もついでに云うと畳も全てが傷んでいて天井だけが妙に赤みを帯びた煤色に覆われている景色は結構な物だった。

その天井には白い磁器で出来たシーリングが「ポツン」と生きたヤモリの如く天上に吸い付く様に鎮座しているその時、畳替えをするイメージが本格的に湧いた。

◇ 部屋の改造計画の生活文學工房と決めた

すぐ様その古い畳を剥がし埃を払いながらそれを眺めている私は、次の一手を想いついた。それは其処に炉を切る事に異常な程の執着を持って主題の意匠とした。依然として洋風化の建物からは、和のテイストが彼方に消えて行く昨今のアンチテーゼでも有る。

正しく2畳間に炉を切ると云うのは昔からの憧れで頭の中には、もう既に図面は出来上がっていた。早速床板を左手の隅に正四角の松の木の香りがする500㎜角にカットした。

床下の土台にバラストを敷き詰めコンクリートを張り鉄筋を刺し込み、それに50㎜厚みの型枠にコンクリリートを流し込み床まで立ち上げた。2日後型枠を外して深さ調整に再び砂利を敷き詰め更にコンクリートを流し込んだ。

乾かしたそれに土粘土でコンクリートを覆ったのは、耐熱と保温性が高まる使用だ。

その頃畳が届いた...なんと何と「縄文畳み」なのだ。「私は縄文畳みを注文しました」か⁈「いえいえ勝手に判断」をさせてもらいました。

それからこの畳みは貴方への贈り物にさせてください。実はこの縄文の畳表は、在庫で長く置き去りになっていたものです。序でに炉の分の断裁もやらせてくださいね。

この様な場面は一生に何度もあるものでもありませんから私達職人が口を挟む場面じゃ無いのですが「是非」お願いします。

有り難うございますそして「炉縁」の断裁までやって頂き嬉しいです。

実は、こちらの畳屋さんは行きつけの深煎りの珈琲屋で知りあって間もない方でいっも深い「本藍染の作務衣」がお似合いのご主人だ。

その作務衣に合わせた「継ぎ接ぎのツイードのハンチング」を見事に愛用されていらして、その話しで盛り上がった方でした。

その実に縄文畳みは価格が倍以上の見積もりで断念していたはずがこんな展開になろうとは、人生って信じる値する想いは、通じてしまう様だ。

◇ 炉を切るための炉縁と云う額縁は留め仕上げでホゾとほぞ穴に凝ってみた。

早速その後に畳に合わせて欅で額縁みたいに炉縁を仕立てて拭き漆で何度となく吹き上げそれを水ペーパーの2000番で磨き又拭き漆のそれぞれの工程を繰り返しながら仕上げた。

そこに合わせて銅板も収めて炉の形が出来た。

仕上げの木灰は近くの知りあいが薪ストーブを使っていて普段から灰は大切にしている人だ。事情を説明して相談してみたらなんと何と二つ返事で手際良くOKが出た。

◇ 縄文畳みに炉を切る事は全てほぼ完成し襖や障子や土壁

次は障子に襖にある意味職人並みにいつの間にかなっていた。小さい頃から家族で分担し私は障子担当をしていたし、また引越しで襖や障子は慣れていたからだった。古い壁は土壁から「竹小舞」も荒れ果て顔をだして可なり損傷しては、いたが藁縄が倉庫の片隅にビニールでカバーされ風化せずに残っていたし竹も幸い有った。土粘土もあり全部揃っている。

コテは流石に間に合わせでは追いつかないと想い左官材料屋を電話帳で探したら確かに町の繁華街の中にあった。

そんな感じで下塗りは何度か繰り返す事にした。暫くすると乾き始めるがヒビが入る。その隙間の亀裂が入るところを部分補修でいいだろうと繰り返す。土練りの中に切り「藁スサ」をいれて発酵待ちながら仕上げにはいる。藁スサが絡まり繋ぎになり発酵により堅牢に仕上がる。

金鏝で飛行機の様に離着陸を繰り返し縦横無尽に金鏝でならしていくと光沢が出て来るあたりで手をとめる。乾燥してもまたヒビなんかは気にしなくても良いし最終的には、珪藻土でやるのも良し。

ここは山間部でコウゾやミツマタの和紙の原材料が自然界にあり障子も襖もそんな贅沢な手漉き和紙が夢でも無く何とかなるだろうとかんがえている。

障子や襖を貼り替えるとたちまち部屋が変貌するし況してや畳表を変えてしまったら異次元の空間になり別人格に成り得る。

障子は少々粗っぽいが屋外に持ち出し水道ホースで水で霧吹きするのが一番合理的で陰干しは、必須ですね。埃や手垢も同時にタワシ洗いでサラサラと私はやります。

襖は、枠の額縁と引き手て襖紙から成ってますが取り敢えずそれの詳しい説明は、置いておきます。

先ずは、額縁と引き手外しから私は始める。これをしないと「職人芸」がすたれるのです。下貼りに重宝するのは新聞紙です。知る限り最高のクオリティですね「それだけは保証」します。もしかして英紙などあったら下貼り依然の洒落たモダーンな仕上りになるかもしれません。しかし今回は和紙が届いています。障子も襖もコウゾやミツマタの手漉き和紙です。

◇ 鉋や鑿の手入れと砥石

今日は、鑿や鉋の刃物研ぎをしたくなりました。三種類の砥石を水にくぐらせ暫く時間をおいてから砥石で砥石を研ぐ。先ずは、そこからはじめる刃物研ぎは何年も放置していたが研ぎ出せば新品に蘇る。鉋や鑿の研ぎは中々難しく熟練者には簡単に辿り付かないものと想う。

それはさておき硬い欅の額縁と云うのは、炉縁の事。額縁は沢山作って来たから多少は慣れているつもりでも欅は、兎に角私の素人にとってハードルが高い。この炉縁は、その意味でやり甲斐が特別な物になった。額縁の留仕上げに更にホゾ穴を開けて仕上げるやや上級者に近い拘りのある時間をかけて45°+45°=90°の隙間は胴引きノコを数回通して収まりがついた。このテクニックは、木工家具の職人に以前に手解きをしてもらっている。

◇ 竹山に入ると奇跡的な出逢い

真竹の竹山に出掛けその辺りは結構荒れている。私はある時期1カ月間竹職人の元でお手伝いをしなが竹ヒゴの基本を観察し手伝った。

その後「俄か竹職人」に躍り出た。

話を戻して荒れた竹山には、恐る恐る入って行く途中だった。一本の黒くて燻んだ竹を片足が踏んでしまったのだ。辺りは昼間にして静寂そのものである中で起きた出来事は「キン コン カン キ〜ン」って云う凛々としたまるでピアノ線の高い共鳴音がこの仄暗い竹藪から鳴り響いた。

真竹の新竹が成長し切れず途中でへし折れて倒れた物だった。                                 竹と云う構造には、ピアノ線に近い繊維で構成されていてそれが「琴線に触れた」のだった。

観客は私の独りだけで後先そんな話をまだ聴いた事が無い体験をしてしまった。恐る恐るの竹山がグルーヴ感にあるいは、歓喜溢れるライブ感に塗り替えられた。

気を良くして奥に入り込んだそこには直径100㎜の真竹2年モノを見つけた。鉈(ナタ)で切り終わり歓喜溢れる竹山から出て持ち帰り早速焚き火で油抜きしなが磨きをかけた。

陽射しもありそれを翌日から紫外線に当てると数日で飴色に近い象牙質な色に豹変する頃は、加工がしやすいので私は白い磁器のシーリングに合わせて半球体の竹に和紙の照明器具を作り始めた。

◇ エピローグ

知り合いが始めた自家焙煎は、「青空焙煎所」と名がついている。フェートレードの新鮮な生豆を丁寧に一個一個の選別をして手回しの特注に近い焙煎機にかけ最初は弱火で水分を調整しながら最初の爆ぜる音が聞こえて二度目の爆ぜる音が見極めのタイミングらしい酸味が甘味と苦味と穀の深まりが出て黒く艶やかに成るその時の数秒前後が大切な瞬間らしい。短期集中に重ねた想いを披露してくれた。


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