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鑑賞記 アレグリア シルク・ドゥ・ソレイユ

 アレグリアを観る機会を得た。
 平日の昼間、独りで出かけた。
 何年ぶりか覚えていないくらい久しぶりに乗るゆりかもめ。初めて乗った時は上から遺跡が見えたっけ。今は汐留のビルのガラスがペラペラと光ったり消えたりしている。
 こうして独りで出かけると、恋人でも親でもなかった数十年前の自分に引き戻され、当時の若さゆえの不安や孤独までも想起してしまって、たちまち心細くなってしまう。いや、私は大人になれたし、親にもなれて、ちゃんと生きてる、そう言い聞かせながら、青と黄色のテントへ向かった。

 入ってすぐのロビーは、バザールが開催されているような雰囲気になっていて、食べ物のブースやグッズのブースが並び、ほどよく狭い。新型コロナ以前並に人が行き交っていて、賑わっている。事前にホームページで調べて目当てにしていた卵サンドを買った。
 指定席ごとに決められた入り口から中に入ると、外の晴れた昼間とは一変、少し霧がかったような場内には暗めの灯がともっていた。卵サンドを頬張りながらやり過ごしていると、何気なくクラウンたちが入ってきて、そのやり取りに惹きつけられる。キャラクターたちが次々と登場し、歌姫たちの歌声がショーの始まりを告げた。
 
 披露されたのは紛れもなく訓練された技、なのだけど、私の目に見えたのは美しい演技であった。手に汗握る、というより、身体のどこに力が入っているのか分からないような柔らかい動き。演目が流れるように繋がっていて、その一連は映画のようだった。無声映画を観ているような感覚。舞台の上から降りてくるものや転がってくるもの、いつの間にか変わっている床によって、一つ一つの物語が語られていく。ゆりかもめのタイムマシンで心がハダカになっていたせいか、語り部たちの健気さや語り継いできた時間の重みを感じてしまって、その場に似つかわしくなかろう涙をこぼしてしまった。
 休憩の間も続きが楽しみだった。舞台の変換までショーに取り入れられていて新鮮だった。フィナーレではどうやって自分の感動を表現していいかわからず、
誰にとはかまわず手を振っていた。

 ふと、3年前、エンターテイメントの灯が消えそうだったことを思い出した。今日の体験は新型コロナで失われていたら味わえなかったもの。私には到底知り得ない御尽力があったであろう。
 人生にまた一つ、灯火をいただき、私は再び、ゆりかもめで帰った。


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