見出し画像

LEICA騒動の顛末

1.プロローグ

 1994年11月、生まれて初めての自分のカメラとして、LEICA M3を購入した。30万円を超える価格のカメラは、カメラとしては高価なものであることには変わりないが当時35歳、独身の私にとっては決して手の届かないものではなかった。(今、こんなことを言うやつがいたら、私はそいつのことを快くは思わないでしょうね)

 初めて自分で購入したカメラがなぜLEICAであったのかであるが、これには私のまわりの人たちが問題であった。そして、「どうせ買うんだったら、やっぱりいいものがいいよね」といった程度の気持ちで購入した1台のカメラがたまたまLEICAであったということだけで、まさかこのような騒動を巻き起こすとは。

 1994年9月、当時全くカメラに興味がない私であったのだが、カメラ屋さんの折り込み広告に出ていたコンタックス G1が目についた。「おっ、なかなかかっこいい!このカールツァイスって響きがいいよね・・・」申し訳ないのだがその時、カールツァイスというのを知らなかった。「そういえばこれまでカメラなんて買ったことがなかったし、まともなカメラを1台買ってみようかな」とふと考えたのだった。

 私の勤めている大学には実は写真を趣味にしている人が多い。学園祭で教職員の写真展示のコーナーが毎年開かれていて、年に1度のスターの座を 皆 密かにねらっていてる。私の同僚のM先生もその一人である。彼は、貧乏だった大学院生時代、奨学金使い込んでPENTAX LXを購入した。お金がなくなった彼は、本を買ったのでお金がなくなってしまったと人生唯一の嘘をついて教授に晩御飯を食べさせてもらって飢えをしのいだそうである。「名前が彫り込んであるこのLXは娘に譲ってね、僕は退職金でLEICAを買うんですよ・・・」というのが彼の口癖である。

 「カメラを買おうと思ったのだけど、こんど発売されるG1ってどう思う?」とM先生に電話した。「えっ、CONTAXの今度新しく出るレンジファインダーのカメラね。それを買う気なの?」「レンジファインダーって何?」「・・・・・」といったやりとりの後、彼の口から、「僕だったらLEICA M6を買うけどね」という言葉が出た。当時の私は、ライカがカメラのブランドであることぐらいは知っていたけれど、LEICAの正しい綴りは知らなかった。でも彼のライカという響きを聞いてから、G1のことはすっかり忘れてしまい、世界の一流品図鑑に掲載されたLEICA M6の写真などを眺めて、これいいなーと病を得てしまった。それからカメラ雑誌などをあれこれと買い込んできて、M6の値段が30万円くらいであること、オートフォーカスではなかったことなどを確認した。

  T先生は、広島で知るひとぞ知るスーパーコレクターである。噂によると生活は共働きの奥様の収入にたよっていて、自分の給料は全てカメラの購入費用にまわっているらしい。自宅に数千万円の保険のかかったコレクションが眠っているそうである。そのT先生が私がカメラを物色していることを聞きつけて 「なに、染岡さん、LEICAを買うの?それだったらね、M3にしなさい、M6はだめよと」 といつのまにか、LEICAを買うことになってしまっていた。

 1994年11月のとある日曜日、知らないうちに私がLEICAを購入する予定が組まれていた。私が何を買うか選ぶ以前に、すでにT先生によって2台のM3ボディーと、それぞれのズミクロン、ズミルックスが指定されていた。T先生にM先生も同行して中古カメラ屋さんに向かった。スーパーコレクターのT先生は余裕であったが、退職金でLEICAを買う予定のM先生はその日やけに饒舌であった。駐車場がなかなかみつからなくて遅れてカメラ屋に入った時には、すでに2人の前には私の2つの選択肢が置かれていた。結局、最初に購入するカメラなのだから標準がいいよというT先生のひとことで程度がいいほうのズミクロン付きM3を購入することが決定された。代金をキャッシュで支払った時、生まれてはじめてLEICAが購入される瞬間を目撃したM先生が深い溜息をついて店から出ていった。

2. ライカ騒動の顛末

 日頃から生意気な奴が、いきなり初心者マークをつけてポルシェ911に乗って来たら誰でも決して快くは思わない。後ろから石でも投げてやろうかと思ってしまうだろう。もちろんポルシェには傷がつかないようにね。

  初心者の染岡がLEICAを買ったらしいという噂はまたたくまに学内に広がった。最初は、皆笑顔で、「ぜひ見せてくださいね」という対応だったのだが、実際に本当にLEICAを持って見せにいくと、皆さんしげしげと眺めて、あと言葉を失った。その後、私に対する態度が必ずしも好意に由来しなくなっていることも発見した。30代以前の人は、LEICAを買っても決して人に見せてはいけません。危険です。「今度の学園祭は楽しみだね。だってLEICAで撮る写真だもんね。」ということをすれ違うたびに言われるようになった。これは不当な言い方だ。よくない写真を撮ったら、「LEICAで撮ったのにこれなの」と非難されるし、よい写真をたったとしても「さすがにLEICAは違うね」と評価されてしまう。後日、スーパーコレクターのT先生に撮った写真を見せにいったら、「うーーむ、カメラ7割、腕3割」と言われた。これって誉められたのかな? いやみを言われたのかもしれない。

  さすがにLEICA M3は日常カメラとしては使いにくい。露出計がなというのもあるのだが、写真を撮ろうとカメラを構えると、いや、胸にさげて歩いているだけで、すれ違う人から時々「なんだこのやろう」という目線が送られてくる。小説等では、LEICAが人をつなぐなんて書いてあるけれどあれは嘘ですね。そこで、日常持ち歩くカメラとして、CONTAXのTVSを購入した。このカメラはよく写る。少し重いのが難点だが、カバンに入れておけば持ち歩くことも可能だ。でも、LEICA M3のユーザは、コンパクトカメラやましてCONTAXのカメラなんか所有してはいけないという暗黙の法律があったことなど知るよしもなかった。

  しかも、まずいことに当時の私は怖いもの知らずの独身貴族である。そういえば、望遠系用として1眼レフが必要かななどという軽い気持ちでCONTAX STを立て続けに買ってしまった。レンズはPlanar 85mm F1.4 ときたものだ。 LEICA教の信者の神経を最も逆なでするラインアップとしては完璧である。M先生らと尾道撮影に行っのだが、LEICA M3を胸に下げ、TVSを腰につけ、ST + Planar85mmF1.4 を手に持って歩いている私の背中に針のような視線、いや、殺気を感じたのであった。今思い出しても背筋が寒くなる。よく刺されずに済んだものだと思う。「知らない」「何も考えていない」ということほど恐ろしいものはない。

3. エピローグ

  そのように大胆であった私も今やすっかり更正してカメラ的には静かな生活を送っている。0才の息子攻撃に備えてオーディオセット同様に厳重な警戒体制をしいている。父の形見となった、PENTAX MZ10で息子0才の様子をフィルム月1本の割合で撮影している毎日である。

めでたし・めでたし。

1998年 に1994年のことを振り返って記述

写真は、2017年5月14日 FB用に撮影
----------------------------------------------------
メディア・テクノロジーがらみの講義用スライドのバージョンアップ。
テクノロジーの話って、それがなかったころの不便さ?を理解してもらわない事には成り立たない点が難しいのですが、生活の一部となってしまったものにあれこれ言ってもなかなか聞いてもらえません。
ちなみに、手前の私の写真は23年前の1994年にT先生撮影してもらいました。撮影で使われたカメラはなんと Ur Leica 。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?