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24時間じゃ足りないの言葉の裏には

母であり 
社会人であり 
女であり
妻であり
会社の肩書きもあり
地域の役割もあり ・・・

女性のみならず

老若男女

社会の中で生活する上で

色んな役割 顔があると言われています

その分

皆さんは一日においての

ルーティンも増え

元来真面目な私たちは

完璧にこなそうと努力し

自分のこと

自分が呼吸をしているかどうかさえ

忘れてしまい

達成感とは異なる

何に疲れているのかもわからないほど

毎日の疲弊感

その積み重ねで

生きることすら忘れてしまっている

そんな日本

だからこそ

皆さんのヨガの時間は

どれだけ

重要で

貴重な時間

自分自身を取り戻す時間だ

それぞれが本来の私に帰る場所だと思って

日々レッスンに立っています




一見役割が少ない

社会的にも個人的にも

差異のない私

独身 フリーランス

それでも

1日 24時間じゃ足りないと思ってます

もっと時間があれば好きなことができる

その言葉の裏には

自分がやりたいことをもっとやりたい

という欲張りな気持ち

自己実現

以外にも

どうやら

裏テーマがあったようです




今日

私は ひとつ手放します

ゼロから作り上げ

11年間

手塩に育ててきたと自負のある

そんな時間を手放します

これまた

今 怖いです

猛烈に逃げたい衝動に駆られています

この後 2時間後に来るであろう

その瞬間を思うと

ハラハラで

心臓の鼓動の早さが加速しています

それは

やっぱり

人に嫌われるかもしれない

そこなんです

みんなの前で

発表したら

残念な顔

そこから

ひどい

私たちをどう思っているの

先生なんでもっと早く言ってくれなかったの

そんな付き合いだったの

妄想が勝手に膨らみ

私を責め立てます





24時間じゃ足りないぜ

とかっこつけていた

その言葉は

みんな私を嫌わないでという

そんな思いだったんですよね

だから

媚びを売るように

人の顔色を伺うように

仕事を増やし

自分の時間をないがしろにしてきた

でも

やっとね

ここ1年で

気づいてきた

いや

気づいていたのを見ぬふりすること辞めました

時間は有限

人生には必ず終わりがある

私の時間は何物にも代えられない

50を超えて

やっと

時間の大切さを実行に移すことができます

周囲に感謝し

自分の人生の時間を大切に生きてる人の決断を

責める人はいない

たとえいたとしても

それは気が合わないだけのこと

それ以上でもそれ以下でもない

そんな風に今思いながら

note

書いてます




自分を奮い立たせるというよりも

不安で押しつぶされて泣いている女の子を

よくやったよ

がんばってきたこと

全部知っているよ

わかっているよ

だから大丈夫と

ねぎらい

癒やし

抱きしめてる

そんなやりとりを

行っている

これも

内観であり

制感からの

ひとつの瞑想なのかもしれません



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