母が縛っていたんじゃない私でした
『また戻ってきました』
いったん辞めて
またヨガクラスに復活された生徒さん
娘さんの出産で
お孫さんの面倒を見るということでしたが
戻ってきたとのこと
『お母さんは何もできない
ベビーシーッター雇うから
帰ってと言われちゃったのよ
だから
戻ってきたよ
また先生、よろしくね』
そんな言葉に
胸が痛くなりました
『そうですか
そうですよね
娘ってね
素直になれないというか
甘えがあるというか
言葉がきつくなったりするんだよね
反省・・・
今日、帰ったら私お母さんにやさしくするわ』
そんな会話で
帰ってきました
母と娘
いや
親子関係
永遠のテーマです
ここをある程度クリアすれば
悩みの半分はなくなるように思います
実際
私も
最近母と過ごす時間が長くなり
今までのような
はつらつとした
なんでもこなす動きもなく
老いていく母の現実を見るのが
辛く
なんで
こんなことも出来なくなったの
もっと姿勢も良かったじゃん
何度も同じ話もしないし
そんなに愚痴ばかりじゃなかったじゃん
と
そんな思いが
フツフツと
で
そんな姿を見ると
優しい言葉は全くかけられず
かえって
キツい言葉になってしまうんですよね
そう
大好きだった人に失望した感覚
がっかりした
幻滅していたんです
憧れだから
好きだから
こそ
いつまでも
強く美しくシャキッとした母でいて欲しかった
でもね
これ
こんなありがた迷惑なことないですよね
その姿は勝手に私が描いている
母親像であり
母の人生そのものではない
もうアタシのことを縛らないでよ
支配しないでよ
なんて都合のいいことを言いながら
結局
私が母を縛っていた
小さい頃の
今の母を見ずに
幻想の母を思い
描き続け
押しつけていただけ
そう
私が自分の人生を
失敗しながらも
自分の足で歩いていくことが
楽しくなったように
母も
もう私の母という肩書きの人生ではなく
個人の
彼女自身の人生を歩んでほしい
家のこととか
娘のこととか
孫のこととか
ご近所のこととか
そんなことはどうでもいい問題
自分以外のことを優先せずに
まずはあなた
自分が生きたいように
残りの人生
あなた自身の人生を歩んで欲しいと
心から願えたんです
これなのかも知れない
感謝して私が
母
個人の人生の幸せを願う
私のこころも軽くなり
きっとこれからの関係性も
普段の私自信も
さらに進化していけるように思います
やっと
親と切れた
本当の親切が
これから私もできるようになると
なんだか
ここでまた一つ
明るい未来が見えてきました
ヨガを通じて心と体をすこやかに!自分自身の経験があなたの力になれたらと思っています。どうぞサポートいただければうれしいです!よろしくお願いします。