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母という病と生きていく

前回の内容
悲しむ顔を見たくない

こちらを読んで下さっての感想が
それぞれで
ひとりひとりの人生のストーリーは
異なっているし
それでいい
だから
私の経験がこうだから
あなたも絶対そうだよねという
押しつけは
その人その人の神聖な領域を犯す破壊行為

あらためて
自分自身の身体と心の輪郭を
それぞれが
認識する重要性を感じています

なので
最近 レッスンに取り入れてませんでしたが
シャバアーサナからのカンバック
今一度
自分の輪郭
呼吸
取り入れます
そんな決意です

さてさて
前回の内容
読んで下さった皆様
いかがでしたでしょうか

あなたはどう感じましたか?

悲しい顔を見たくないって
やさしいね
だから自分にもやさしくね
と想いました?

それとも

人の顔色を伺って
辛かったね
もういいんだよ
捨てられないから大丈夫だよ
もう我慢しなくていいよ
と想いました?

感想が人それぞれのように
それぞれの人生には
それぞれの家庭があります


一見
日本の一般的な家庭というと
みんな同じような
核家族で
サラリーマンのお父さんと
お母さんはパートで
子供の面倒をみて

これが当たり前でしょと
誰もが似通った
平均的な家庭で育ったと信じています

でも
この家庭という名の密室こそ
千差万別であり
ルールも
普通こうでしょ
みんなそうでしょ

全く通用しない場だと思います

なので
こうやって
感想も
やさしさ ととるのか
生きづらさからの肩の力み ととるのか
大きく異なるのでしょう

母という病
2012年に刊行された
精神科医の岡田尊司先生の本を
読んだことありますか?

いや
最後まで読みきる事ができますか?

私はやっと
やっと読みきることができました

最近よく聞く

毒親

この言葉でまとめてしまうには
あまりにもおおざっぱ過ぎるように感じています

毒親
と聞くと
何か
あの人はこれにあてはまるよね
とジャッジしたくなったり
私は毒親かもと
恐怖に陥ったり
私は毒親に育てられたから
駄目なんだ
親に
文句のひとつでも言わないとやってられないと
攻撃的になるように思うのです

そこじゃない

そうやって
ジャッジするため
制裁を加えるためでは
何の解決にもなりません

あくまでも
この瞬間から
寄りよく生きる為の客観視が必要です

でもね
こちらの本の内容
悲しむ顔を見たくない
イコール
生きづらさからの肩の力みと
感想をお持ちの方にとっては
かなりヘヴィーです

2012年刊行当時の私なら
激しいおう吐となりうる内容でした

では
なぜ
やっとここに来て
この本を読めたのか・・・

それはやはり
ヨガの継続です

ヨガで健康に!!!!

今ではこれは何の疑いのない言葉ですが
あらためて
健康って
なんでしょう?

健康とは
病気でないとか、弱っていないということではなく、
肉体的にも、精神的にも、社会的にも
そして霊的(スピリチュアル的)にも、
すべてが満たされた状態にあることをいいます
とWHOで定義されています

そうなんです
ヨガは身体を調え
呼吸を調え
心を調えることによって
すべてが満たされた状態を目指し近づきます

霊的(スピリチュアル的)の部分は
賛否両論あり
日本のWHOでは
表記されていない場合もありますが
何も 目の見えない不思議なものや
今のスピリチュアル
という意味ではないんですよね

この霊的に満たされているということこそ
自分の大元
生まれてきた場所との関係が
満たされた状態
そう
母親との関係を満たされていることではないでしょうか

母親との関係
むりくり仲良くしようとか
親孝行することが満たされた状態ではありません

ヨガをすることで
客観的に自分をみつめ
内観し
心癖を知り
いい悪いとジャッジせずに
そういう自分だと受け入れる
認める

神経質で潔癖だった母に
服に食べ物をこぼしただけで
不潔で汚いものというような
しかめっつら
ばかり浮かんできて
抱きしめられた思い出が
なかったとしても

言う通りに動かなければ
捨てられる
話を合わせなければ
母を喜ばせなければと
見捨てられると
本音を言えず
話をあわせ
友だちのような関係を装っていた自分が
思い返されても


それは過去のできごとであり
今は異なっている状況であることを冷静にみる
見捨てられても
生きていける自分であることの事実をみて
もう
そんな呪縛を解いていいんだと
自分で確信する

そしてその記憶は
一方的なこちら側の思いであり
誤認知だっただけかもしれない

そうやっての少しづつの
認知の変容

それでも
当時の思いが
あふれだし
涙が溢れても
その感情を浄化するまで
我慢せずに
しっかり感じきると

自分の心の輪郭がはっきりと形取られてきます

自分の思いと
他者の思いは異なることは当たり前であり
その私の内側から
沸き起こった思いの領域を
他者からの侵入で荒らせることは不可能であり
その侵入を防げる自分を知ります

それがやはり
内観からの客観視
ヨガなんです

少しずつ
ゆっくりの歩みで
健康に
全てが満ち足りた状態へ
近づき
生命の大元である母に
心から感謝と敬意を覚えます

そう
人の為という
偽物の気持ちではなく

心からの
感謝さえあれば
母という病とともに
生きていけばいいんだ
という覚悟が生まれてくるんです

そこからやっと
はじまった
これからだ

そんな風に思いながら
また明日も
皆さんとヨガを楽しみます

美しい心の輪郭描いて生きましょう
おやすみなさい

◇おすすめ&参考本
母という病 岡田尊司著 ポプラ新書


ヨガを通じて心と体をすこやかに!自分自身の経験があなたの力になれたらと思っています。どうぞサポートいただければうれしいです!よろしくお願いします。