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仕事は人生か?

先月(2024年5月10日)テレビ大阪OBCラジオさんの「金曜お昼は、めっちゃ方正!」のオープニングにて方正さんとお話ししてふと思った事...いえ、しばらく思っていたけどあえて口に出す機会がなかった私の「仕事」に対する考えを文字に起こします。

金曜お昼は、めっちゃ方正!Xより引用

日本人は何故こんなに働き者なのか?
日本で生きている皆様にとって「仕事」とはなんなのか?

月亭方正さんは「仕事が人生」と仰られました。

確かに、仕事は人生の中で大切。人生の円グラフがあれば大半の人間にとって「仕事」はそこそこ大きな割合を占めていると思います。
方正さんに反論する訳では全くなく…笑、ただ、私は当然別の人間なので別の考えを持っています。

※私は学生時代を全てカナダで過ごし、(社会人ではないですが)社会人時代を日本で過ごしているので、一概に比較が公平に行われているとは言えません。そんな若輩者の個人の見解としてお読みください。

私にとっての「仕事」

私が「こう人生を送りたい」と言う目標があるとします。
目標を達成するために仕事を頑張ります。仕事が成功すれば目標の達成率も上がるためです。
好きな仕事だったら素敵だけど、「仕事」は死にたくなるほど嫌じゃなければ特別好きでなくていいと思います。

日本人にとっての「仕事」に対する印象

日本に来て感じる事は、「なりたいもの」「やりたいこと」=「仕事」と結びつくことが多いという印象。
方正さんは「やりたい事を見つけた人が勝ち」だと仰られ、ご自身にとってそれは落語だったとお話しされていました。
確かに、やりたい事が見つかり、なおかつそれを仕事にできたら素晴らしいことだと思います。
若者が「何がしたいかわからない」事で悩んだり、進みたい道が無くて悩むことをよく見かけます。
なりたい者、やりたい事がない自分を無価値に思うから悩んでいるのではないかと私は推測します。

新喜劇入団時に感じた違和感

吉本新喜劇に入団した時、金の卵10個目メンバー全員が質問されたのが「誰みたいな座員になりたい?」でした。
一人一人答えていきましたが、私は誰みたいになりたいと思って入団していなかったので戸惑いました。もっと言えば、誰みたいにもなりたくなく、「曽麻綾」といういない人間として新喜劇で笑いを届けたかったのです。
そんな意見を述べると不穏な空気になりました。なりたい人が(あるけど)無いことが「いけない事」のように感じました。
(当時は私の日本語が習いたてだったのもあり、もしかすると意図とは違う言葉を発し、誤解を招く捉えられ方をされたせいでこのような空気になったのかもしれませんが、
どっちにしてもその場では誰かの名前をあげないといけない空気だったので、適当に好きな座員さんの名前をあげました…)

真面目過ぎる人が多い

ざっくりした印象で言うと、日本人は仕事に対して真面目で責任感を持って取り組んでいす。
とても良い事です。良い事ですが、悪い方向にも影響します。
「仕事だから...」がすべての言い訳に通用するくらいの重みを持っている気がします。
あげるまでもない「ブラック企業」「パワハラ」「過労死」など職場に関連する社会問題は尽きません。「ライフワークバランス」という言葉をちらほら聞くようになった今でも、まだまだ全世代共通して仕事に対する意識が変わっていない象徴の様に思えます。
星の数程選択肢がある世の中なのに、目の前の職場、目の前の仕事に必要以上に振り回されている人が多いのではないでしょうか?

北米人にとっての「仕事」:

上の「日本人」もそうですが、当然「全ての日本人」でも「全ての北米人」がこうと言う事ではありません。あくまで大まかな、私個人が持つ、印象の話です。

北米や欧米の考え方では「仕事は生きていく上で必要な要素」。人生を豊かに歩むための収入源です。
好きな仕事をできればなお良いが、そうでないケースの方が多い(これは日本とも共通していると思います)。

当たり前の事のようですが、以下の意識が大きく異なると考えます。
人間は仕事をするために生きているわけではない。』
多分、日本の方も理解はしていると思うのですが、認識が薄く、日々多忙な故この考えを忘れがちな気がします。

「人間は仕事するために生きてるわけじゃない。
やりたい事がなかったら、なりたい職業がなくても別にいいじゃん。
好きな事はある?
例えば、友達とカフェ言っておしゃべりするのが楽しいって思うなら、それができるように生きる。その為に仕事に就く。

地球上に好きな場所があれば、とりあえずそこに住むことを目標にして収入を得る方法を探せばよくない?」

これは、カナダに住む友達が言っていたた言葉です。(勝手に和訳してます。)
私はこの意見に同意します。

極端な話「ニートは生きる価値ない」など、彼女は念頭にありません。
日本人が皆「ニートは生きる価値ない」と思っていると言うわけでは当然ないですが、少なくともこの「ニートは生きる価値ない」の類の文字をネット、コメント欄、漫画、ドラマのセリフで目にし耳にしたことがある…しかも1度ではなく思い出せない程あると言う事は残念ながらこの意見を持っている人が周囲にいる事を表しています。
周囲に存在する以上、環境に大きく影響される生物である「人間」は、本人が思っていなくても無意識に周囲の意見に影響され、不必要に劣等感を感じたり負の感情を抱かされると私は考えます。

理想通りの人生を実行できていない劣等感を本人が個人的に感じる事があったとしても、「ニートであること」「やりたい仕事がない」「定職に就いていない」=「悪い」、
こうした考え方は取っ払ってもいいのではないでしょうか?

一般的価値観に対する疑問:

以下は万国共通にある「仕事に対する価値観」についてです。

定職につかない大人は下に見られ、NEETが悪に見られ、「いい歳なのにバイトって…」と言われる。
この意見が浮上するのは「生きていることを当たり前にしているから」じゃないですか?

仕事をしていなかったら価値のない人間なのか?
多趣味で働いていても価値ある人間じゃないか?
他人の基準で価値を見出されないと生きる資格はないのか?

「ニート万歳、無職でいいじゃん」と言ってるわけではないです。社会が発展し、日常を送るためには労働が必然であり、生きる上での義務だと思います。
義務だけど、生きている期間常に目標が見えていなくても、迷い悩む時間がしばしばあっても、生きる資格はあると思います。
もしやりたい事がないから、あるいは職が理由で穏やかな精神状態を保てないのであれば、それは「仕事」にしなくていいと思います。

私の思考まとめ:

  • 「仕事=人生」じゃない

  • 仕事は生きる動作を支えるもの

  • 仕事に対する考え方は十人十色で、人生のステージにおいて変わる

「生死を基準にするなんて、極端すぎだろう」と思われているあなた、ごもっもな意見です。
ですがこう考えるのも、私は生きている側の人間だからだと私の思考は行きつきます。

ちなみに、この考え方を将来について考える学生の頃から思っていたか?今の仕事を始めた19歳の頃から持っていたか?と言われるともちろん違います。
(以下は仕事に限らず、何事に対しても該当しますが…)
生きている間に起きる出来事により価値観は左右され、左右どころではない程180度変わることだってあります。

このnoteを読んでくださった方の考え方が1度変わるのか、179度変わるのかも、あなたの人生経験や今置かれてる状況に応じて異なるでしょう。

以上、曽麻綾のSo much to wonderでした。

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