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Kingoという怪物

どの業界においても同業者に対する目を厳しくなるものなので、必然的に僕が手放しで称賛できるラッパーは少ない、しかも同い年に限ると、ライバル意識が邪魔しているのか尚更少なくなる。

ちなみに日本のHIPHOPは”同世代”を大事にする文化があって、ラッパーを自分の生まれ年によって「99(読み方:キュウキュウ)=1999年生まれ」や「00(読み方:ゼロゼロ)=2000年生まれ」を自称したりする。

僕の好きなラッパーの特徴はKendrick Lamarのように、高いスキルを持ちながらリリックからしっかりとメッセージを汲み取れる、というもの。
端的に言うと、スキルフルでありリリカルなラッパーが好きだ。

僕の認識では、マンブルラップ(本来の言葉の発音を崩して、「音としての言葉」に注目したラップ、ほとんどの場合歌詞からメッセージを汲み取るのは難しい)の普及以降、「リリカルなラップをする人」と「(リリカルではないが)リズミカルなラップをする人」の二極化が進んだと思っています。

といっても、本来の日本語の発音を崩してノリを出す手法は、そもそもグルーブを作るのに向いていない日本語を如何に聴き心地よいものにするか、という課題に対する一つのアンサーであり(オートチューンも同様)、その意味では先人たちの格闘の歴史でもあるので、僕はマンブルラップの影響を受けたラップスタイルを嫌っているわけではありません。

話が少し込み入ってきたので戻すと、同い年の友人であり、ラッパーのKingoは間違いなく「スキルフルでありリリカル」であり、僕がリスペクトしている存在です。

Kingoの1st EP 『Bandages』のリリース数週間前、Kingoのマネージャーからメッセージが届きました。「EPの音源を送るのでコメントを欲しい」とのこと、二つ返事でOKと伝えて早速ファイルを開いて聴き終えたときに頭の中に「?」が駆け巡りました。僕が引っ掛かったのは Tr.04 somei yoshino(demo) という曲。トラックはアコースティックギター1本(+雑踏の音)だけ、そこにKingoのラップが乗っている曲で、リリックはとても個人的な内容で哀愁と懐古が入り混じった感情が綴られていました。

この曲を最初に聴いた時に思ったのが
「Kingoだったら曲の構成からラップのフロウまで、もっともっとスキルフルに出来るはず、なぜこのバージョンでリリースするのだろう?」
というもの、先の「スキルフルでありリリカル」のうちの「リリカル」だけに焦点が当てられているように感じて、歯がゆさを覚えました。

という事があって、お願いされていたコメントを出すのは断らせてもらい、どこか腑に落ちない感覚を抱きながら、2023.12.22 彼のワンマンライブに出演するために東京に向かいました。

Black petrolがDino君とKingoと一緒に作った曲、"anthem"の演奏が終わり
すぐに客席へ。ちょうどKingoがバンドセットからギターのJun Wakabayashiと2人だけで演奏するアコースティックセットへと切り替えたタイミングでした。そこで演奏が始まったのがsomei yoshino。

音源よりも何倍も何倍も感情をこめてスピットしている彼の姿を見て、なぜsomei yoshino(demo)をEPの中に入れたのか、しかもなぜ粗い質感で作られたバージョンを選択したのか、がわかった気がしました。

端的に言うと「あーこの曲は、メッセージを伝えるための曲なんだな」というもの、その時に同じく同世代のラッパーで僕が尊敬しているTERUの「スキルはソウルに比例する」という言葉が思い出されました。極上のスキルを獲得した人間はそれと同じくらいのソウルを持ち合わせている、という意味ですが、「Kingoは『(ラップ)スキルを使わない』という選択を出来るアーティストなんだなぁ」とある種の感慨に耽っていました。

さて、そんな怪物が明日、05.24 大阪SOCORE FACTORYで行われる、僕とDUCK HOUSEのNew EP『Lost Humanity』のリリースパーティーに出演します。同じくKingoの最新EPである『Bandages』の曲たちも聴けるのではないかと思います。

2024.05.24 DUCK HOUSE Release Party フライヤー

最後に、もしこの文章を読んでいる方は、是非Kingoの『Bandages』リリース時に公開したセルフライナーノーツも読んでみてくださいね!


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