“Bandages” セルフライナーノーツ
遂に、ソロ名義として初のEP、”Bandages”がリリースされました!聞いてくれている皆様、感想をくれている皆様、ありがとう。ここでは、リリースに際して、簡単にセルフライナーノーツを書いてみようと思っています。
まず、タイトルに関して。
自分にとって“音楽を作ること”は、心のヒーリングプロセスだと思っています。今の苦労、過去の辛い記憶、未来への不安、そういったものをありのまま歌詞に昇華することが、自分の内面の整理に繋がり、その作った曲たちは、まるで絆創膏のように、自分を守って、傷の治りを少しだけ早めてくれる。そして、歌詞にすることで、もしかしたら同じような過去を持っている人に一人じゃないと思ってもらえるのではないか。そんな思いを持って作詞した曲が、このEPにはたくさん入っています。そのため、英語で絆創膏・包帯の複数形を意味する"Bandages(バンデージズ)"というタイトルにつけることに決めました。🩹
というわけで、各楽曲について簡単に。
1) Tonight, We Celebrate
この曲は、初めて自分に宛てて書いた曲です。これまで、自分自身が今後生きていく上での指針を歌詞に込めることはあったのですが、「この曲は自分のために書こう」と決めて書いたことはなかったんですよね。今年は路上からフジロックからアンセムから全てに本気で取り組んだ一年で、そんな一年を締め括るリリースとして、ここまで走り抜けてきた自分を認める楽曲があっても良いのではないか。そう思って書いたのがこの曲です。
ビートは友人のヨシュアにお願いしました。まず楽曲の意図を伝えて、レファレンスをまとめて(今回は2010年台の俺の大好きなヒップホップがレファレンスになっています…Childish Gambinoの3005、LogicのBounce、ケンドリックのAlrightとかですね)、深夜から朝までヨシュアの家でビートを練って、骨組みが完成しました。
自分は今学生で、今カンボジアのヒップホップについて研究しているのですが(これについては今後また書くことになるでしょう)、そのためにカンボジアにこのビートを持って渡航。カンボジアでDemoを完成させました。
レックは一日で、一つをパートを除いてどのテイクも4-5回ぐらいで終わった印象。いつも俺はレックのとき完璧主義なので、よりラフに録ってみて、レックに対するネガティブな感情を無くそうと思いながら取り組んだ楽曲でもありました。
MVではここまで自分が辿ってきた道筋をアンディーがまとめてくれました。よくやったわ今年。
2) Don’t Mean Much
一年前からDinoさんと試行錯誤して制作してきた楽曲ですね。時間かけすぎなんですが、時間かけてよかった。二人の掛け合いの部分、曲構成、曲調の目まぐるしい変化など、各所にこだわりポイントのある面白い楽曲になったと思っています。
歌詞では、ラップの1番と2番で全くテンションが変わっていることがわかると思います。1番ではめちゃめちゃ調子に乗ってますが、2番では売れないことへの苦悩、将来「あなた」が一緒にいてくれるかどうかという不安などが描かれている、感情の起伏が激しい曲になっています。俺はラブソングとして書いたのだけれどもDinoさんはラブソングとしては書いていないという点が、更にこの曲を面白くしている点ですね。
この曲はBOXERさんにも踊ってもらえて、いろんなプレイリストにも入れてもらえて、結構広まってくれました。関わってくれた皆様に感謝。
3) T-Y-O
色んなラッパーがバトルやクルーを組むなどして名を上げていく中、自分はバンドで路上ライブをやるという一風変わった方法で技を磨きながらここまで来ました。幸い、路上は功を奏して今では前よりも楽曲を聴いてくれる人、ライブを見に来てくれる人が多くなってきました。そんな路上ライブについて歌ったのがT-Y-Oです。
この曲のプロデュースもヨシュアですね。ヨシュアとはインターに通っていたという過去が似てるので聞いていた曲とか遊んでいたゲームとかが結構かぶっていて、この曲の制作を通してめっちゃ仲良くなったのを覚えています。聞いてきたヒップホップも被っている部分が多く(しかも被っているアーティストは2000~2010年台のラッパーが多く、普通に日本人と話していて趣味が被るアーティストではない)、しかもお互い路上をやっているということで、この曲の制作は死ぬほどスムーズでした。レックは大変でしたけどね。早いパートを何回撮り直したことか。
自分は路上はよく新宿でやっているのでビデオの撮影は全部新宿で実施し、実際に路上をやっている場所でも撮影してきました。いつも爆速でビデオを仕上げてくれるアンディーと、アシスタントの松村くんありがとう。ジャケ写はいつも一緒に暴れているバンドのVibrationsと一緒に。素晴らしい写真を撮ってくれたアキラくんありがとう!
4) somei yoshino (demo)
元々、下北沢440というライブハウスにて、自分の"Reflection"という曲でフリースタイルをしたのですが、そのフリースタイルをほぼそのまま曲にしたのが、このsomei yoshinoという曲です。友人に向けて書いた曲で、リリースするか迷ったのですが、この曲を聞いた友人の反応を受けて、リリースしようと決めました。
元々はKhamai Leonの赤瀬さんとお風呂でピーナッツの純と制作していたのですが、demoとして純と練ったバージョンをこのEPではリリースしようと決めました。散っていく桜の花びらのようなギターを添えてくれた純に感謝。
この曲はFirst Takeみたいな感じで1発同時録りをしました。録り方はFirst Takeと同じですが使ったのは4テイク目とかだった気がします。本当に出せてよかったと思う曲です。
5) Always Around
自分はいわゆる帰国子女というやつです。同じ帰国子女の人間はわかってくれる人も居ると思うのですが、言葉も通じない海外の生活では、家族はかけがえのない大切な存在です。自分は父の仕事の関係で、幼い頃カンボジアという国に住んでいました。カンボジアは当初、内戦直後であったため治安が悪く、そこに移り住んだ自分の家族は壮絶な経験をしました。自分は幼かったので親に守られていたものの、銃撃戦などの悍ましい事件が家の近くで頻発していました。
Always Aroundは、銃撃戦の銃弾が家の屋根に当たる中、自分のことを身を挺して守ってくれた母親に宛てた曲となっています。父と結婚することを選び、自分を産んでくれ、自分を守ってくれた母。これまで、カンボジアのみならず、様々な場所で、家族として大変な経験をしなければならなかった上、友人と離れねばならなかったりしたため、なぜそのような生き方を選んだのかと、時には親のことを恨んだこともありました。でも今は感謝しかありません。
日本に帰ってきた今、そんな母に対し「もう守ってくれなくて大丈夫、何かあったらいつでも飛んで行くから、側にいるから」ということを伝える曲です。ビートを聞いて歌詞を書くプロセスは自分にとってカタルシスとなり、結果、ゴスペル調の明るいトラックに仕上がりました。
最終的には、母親のみならず、応援してくれている全ての人に対する感謝を示す曲となりました。この曲を一番最初にリリースしようと言ってくれたアンディー、素晴らしいビートを提供してくださったAGOさん、素晴らしいMVを制作してくれたスズケンさん及びMVチームの皆様に、再度感謝を伝えたいです。
この楽曲についての取材を受けた際に、インタビューにて「この楽曲は、Kingoさんにとって『Dear Mama』のような楽曲ですよね?」と質問していただきました。「確かに」と思い、取材後に2pacが母親に宛てた楽曲、Dear Mamaを聴き直しました。
久々に聴いたDear Mamaは、昔聴いた時とは違って心に染みるようにスッと入ってきました。今ではAlways Aroundをライブで演奏するとき、最後はDear Mamaとのマッシュアップで終わらせています。
自分は、ここまで生きてきた中で様々な苦悩はあったものの、アメリカのゲットー出身でもないですし、日本人の中流階級の両親の元に生まれました。ラッパーであるということが不思議がられるかもしれませんが、今の我々の世代は、幼い頃からヒップホップが様々な形で身近にあって、それを聴いてきた世代です。ロックが次第にあらゆる国や国籍の人々に広まってきたように、ヒップホップも今その過程にあるのではないかと俺は考えています。だから自分も今後も堂々とラッパーを名乗っていきたい。その上で、リスペクトをもった上で、ラッパーとして、ヒップホップのレジェンドたちの残していったレガシーは受け継いでいきたい。そんな気持ちが、ライブでのマッシュアップに込めている思いです。
いかがだったでしょうか?もしよかったらこれを読んだうえで、もう一度Bandagesを聴き直してもらえると嬉しいです。
Kingo
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