見出し画像

ハイブリッドテクノロジーズの筆頭株主として上場を迎える朝に。

2021年12月23日、私はその朝を迎えた。

ハイブリッドテクノロジーズが今日東証マザーズに上場される。どんな思いで今日という日を迎えるかと自分でも想像もつかなかったのだが、迎えてみると意外なほど日常と変わらない。ここまでたくさんの困難を超えて今日を迎えここから更なる成長をしてくれると信じて疑わない愛すべきハイブリッドテクノロジーズという企業に筆頭株主として最大のエールを贈りたいと思いこのnoteを書くことにした。

ハイブリッドテクノロジーズの上場について書くにあたって私にとって切っても切り離せない会社がある。その名をエボラブルアジアという。日本では「エアトリ」の前社名として知っている方もいると思うが、それではない。2012年に旅キャピタル(現エアトリ)と私の折半出資で設立したITオフショア開発のベトナム法人だ。

私にとって初めて自己資本で出資して、起業した事業だ。その起業から300名程度まで成長した頃に私はチャン・バン・ミンという青年に出会った。場所は今はもうない西麻布交差点に会ったカフェ「テテス」。面接というより面談に近いその場所で彼と会った瞬間に私は確かに縁を感じていた。そして面談が終わる頃には「とにかく何か事業をしよう」という話になる程に盛り上がった。その彼と立ち上げたのが現在のハイブリッドテクノロジーズ社だった。

ベトナムを代表するSIERの日本法人の代表を経験していた彼と現ハイブリッドテクノロジーズを創業することを決めるまでにそう長くはかからなかった。「ラボ型開発」事業を行うエボラブルアジア社に足りないピースを間違いなく彼となら創れると確信していた。それが上流工程からの受託開発、そしてそれをさらに超えていくITコンサルティングからの超上流工程、現在でいうならばDXコンサルティングというべきものだった。当時前職の半分に満たない給与提示しかできなかった社長職のオフォーを彼は受け入れてくれた。その時に彼に無理やりお金を貸してまで出してもらったものがある。それが当時資本金のうち10%分の現ハイブリッドテクノロジーズ株だった。

その時から、薄々はいつかこうなるだろうと思っていた姿にハイブリッドテクノロジーズ社は成長を遂げてくれた。その中でエボラブルアジア社の持っていたラボ型開発事業そのものもハイブリッドテクノロジーズ社に譲渡することも決めた。2011年から着手し、2012年に設立した私の起業家としての祖業とでも言うべきその事業を彼やハイブリッドテクノロジーズ社の取締役を中心としたメンバーに預けることが間違いなく事業成長にとって、そこにいるメンバーにとって、日本やベトナムのIT産業の一翼を今後になっていく企業にとってそれがあるべき姿だと確信できたからである。

今は私はハイブリッドテクノロジーズという会社にとっては一株主に過ぎない。ただし、私の魂の一部はチャン・バン・ミンというベトナム人で初の東京証券取引所に上場を果たすという偉業を成し遂げた経営者に預けてきた。

これから先のハイブリッドテクノロジーズ社の成長に確信を抱いているし、これからも一番のファンであり応援者として彼らを陰ながら支えていきたいと思う。

最後に、ここまでお付き合い頂いた皆様にお願いがあります。一人でも多くの人にこれを届け、未来のクライアントや株主になり得る人に届けることでこの応援は完成します。もし「おめでとう」という言葉を私に頂けるのであれば、その言葉の代わりに一人でも多くの人に、この文章を届けてくれればこれ以上なく嬉しいです。

そしてこの文章を見て少しでも興味を持って頂いた方は是非クライアントや株主として応援者に加わって頂ければ幸いです。

どうぞ彼らをよろしくお願いいたします。

最後まで駄文にお付き合い頂きありがとうございました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?