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父と子

   今日はリターンズが放送されてから初めての父の日です。それで2019年に書いた『劇場版に見る父と息子の関係』にリターンズの感想を加筆し再掲することにしました。牧パパ、春田のお義父さんになってくれてありがとう!ずっと牧パパが誤解されたままだったので、リターンズで牧パパに再会出来て本当に嬉しかったです。『お前にそういう事聞くまで、凌太のことよくわかってなかったわ。はは』と笑うパパは、少し寂しそうでもあり自身の手から離れて行く息子の幸せを心から願っているようにも見えました。それと狸穴父子、某ドラマで共演してましたね。『マミーと五郎さんだ!フフ、夢の父子対決。相変わらず仲がいいなぁ♡』と密かに喜んでいたのは私です。


 牧の心の闇を読み解くを併せて読んで頂きたいのですが、牧パパが倒れた息子にまだ仕事に打ち込ませようしたことが揶揄されていることに自分は悲しさを覚えました。軽い冗談なのかもしれませんが、牧パパに対して誤解を招く恐れもあるため、自分にはそれが理解出来ませんでした。

 牧パパが春田に「仕事に打ち込ませてやって欲しい」と言ったのは、身体を壊して倒れてもなお、馬車馬のように働けという意味ではもちろんありません。やっと息子が自分のやりたいことや自分の夢を持ち、それに向かって邁進している姿を見て、親として純粋に応援したかったのだと思います。自分にはあのシーンから息子に対する溢れんばかりの父親の愛しか感じませんでした。

 大事な息子だからこそ、仕事と春田との生活の両立ではなく、彼の負担を減らしてやりたいという一心で言ったのだと思います。子を思わない親は居ないと思います。時には春田を憎く思うこともあるかと思います。それだけ大事なひとり息子なのですから。その真っ直ぐな気性を誰よりも理解している牧ママが、春田に対してフォローをしたのも痛いほど分かりました。

   春田もまた、その両親の真っ直ぐな愛を大きな愛で受け止めました。そこが実に彼らしいなと思います。牧はそのことを知りません。牧は牧なりに苦しんだと思います。でも、春田は春田なりに苦しんでいたのです。

 劇場版の大きなテーマ〝家族〟

 劇場版ではいくつかの家族のカタチが見られます。春田と春田ママ、牧の両親、ジャスティスの家族、マミーと五郎さん。

 自分は男性の立場や心理は分かりません。ですから実感としては書けませんが、マミーが五郎さんに対してコンプレックスを感じていたことは分かります。彼にとって五郎さんは超えられない大きな存在だったのだと思います。

 小さい頃から職人としての父の背中を見て育ち、尊敬と憧憬、畏怖と憎悪が入り混じった複雑な感情を抱いて育ったのだと思います。いつか父のように在りたい、父を超えたい、でも、父のようにはなりたくない。そう相反する気持ちがエリート狸穴を作り上げた。彼は彼なりに部下を愛し、家族を愛し、仕事を愛していたと思います。

 でも、そこに黒澤部長のような、その向こう側に透けて見える、欲して止まなかった父親のような大きな愛が足りなかったのだと自覚するのです。その置いてきぼりにされそうな狸穴を救ったのはやはり春田でした。彼もまた、父親に対する憧憬の念が強いからだと思います。彼と共鳴するものがあったのだと思います。

 マミーが五郎さんと和解するシーンが私は大好きです。あの柔和な表情に、長年頑なに鎖ざして来たマミーの心が、雪解けのようにほどけたのを感じました。彼は一生、父親の壁は超えられないと悟ったのだと思います。実は父親は自分の生き方や自分の夢を応援してくれていて、彼自身の夢は息子のために諦めてくれた。その大きな愛に触れて、どれだけ自分が父親に愛されて来たのか悟ったのです。

 それでも、うどんではなくたぬき蕎麦を注文する所にマミーの小さな矜恃を感じます。それは父親に対するささやかな抵抗なのだと思います。五郎さんはそれを咎めることなく、やさしく受け入れています。慈愛に満ちた素晴らしいシーンだと思いました。

 息子と父親の関係性は複雑で、私が全てを読み解くことは出来ません。ですが、牧パパも五郎さんも息子を大事に想っていることは痛いほど伝わります。それを細やかな表情と仕草だけで伝える演者の方の力量と確かな技術には感服しました。

 ジャスもまた、家族の死をもってその重みを知ります。伝えなければならなかったこと、彼らの存在と愛の大きさ。まさに今、牧と〝家族〟になろうとしている春田に全身全霊でそれを伝えたかったのだと思います。

 ラブとは愛です。ラブは恋情ばかりではありません。敬愛、親愛、慈愛、情愛、友愛、相手をかけがえのないものと認め、想い、愛しむことです。ラブとは文字通り愛です。よくおっさんずラブは春田と牧のラブストーリーだと言われますが、おっさんずラブのラブは恋情ばかりではないと私は捉えています。

   春田は人の心の機微をキャッチすることに長けているのだと思う。極度な寂しがり屋なのかもしれない。そういう点では牧よりもずっと敏感で、感覚や本能で生きている。そしてその都度、自分の中で細かい軌道修正もしている。

『光を掴む男、春田創一』より抜粋

   リターンズでは部長に対する春田の敬愛や思慕が、彼の心の奥底に眠る父の憧憬から家族の情のようなものに昇華するさまが描かれていました。牧パパと家族になることで(自分の存在意義が認められることで)春田の中でまたひとつ、ジグソーパズルのパーツがパチンとはまったような感じがしました。

  『でも、俺 父親がいないからお義父さんと家族になれるのはすっげえ嬉しいです』

   この春田のセリフのバックボーンを勝手に想像してちょっぴり切なくなる私。小さい頃から荒井家のおばさんとおじさんはとても良くしてくれたのだと思います(劇場版で荒井家と夏祭りに行ったと言及している)。でも、物理的なものでは埋められない寂しさを感じながら育ったのではないかと思うんですね。

    春田はマミーに対しても、五郎さんに対しても、ジャスに対しても、鋭い嗅覚で彼らの寂しさに反応しています。だから部長の中の寂しさにも強く反応したのかなと思っています。リターンズで牧に対しての愛情が足りないだとか、春田の行動はおかしいだとか、私はそう思わないんですよね。まあ、さすがに新婚旅行に同伴させるのはどうかと思いますが笑。でも、リターンズを見ていると、ずっと牧を大切にしていて深いところで愛してるんだなぁと思います。春田が牧に対してだけ反応が鈍いのは、ただ単に甘えているのだと思います。それはそれで春田が憎らしくもあり可愛らしくもあります。

   劇場版のシナリオ本では喧嘩別れの時、牧に対して「じゃあずっとウジウジ抱えてろ!」(今手元にないのでうろ覚え)と言っているのが、劇場版の本番では「じゃあもう一生、ずっとひとりで抱えてろよ!」に変えられている。多分、田中さんが本を読み込んで、監督と相談して変えたんだろうと思う。自分はこのセリフを初めて聞いた時、春田の愛を感じた。

 「そうやってずっと世界に背を向けて、ひとりで何もかも抱えて生きて行くのなら、自分が傍に居る必要はない」そういう意味だと思う。それはすなわち、牧と傷みも苦しみも分かち合いたい、という彼の愛の言葉だ。

『愛の国の人』から抜粋

   私はこれが春田の最大の美徳であり強みであると思っています。牧からどんな変化球が飛んで来ても揺るぎない大きな愛で受け止め、それを自身の傷みとして分かち合おうとします。

   『牧の家族は俺の家族でもあるからさ、楽しい時も、大変な時も分かち合いたいって思ってる』

   それはのちの熱海結婚指輪紛失事件にも繋がって行きます。牧は相変わらず全てを自己完結しようとする傾向が強く、そのことを春田に咎められます。ですか、人はなかなかすぐには変われません。牧のように自身の感情を抑え込むことで社会に溶け込んで来た人は、なかなか初めの一歩が踏み出せないのかもしれません。劇場版でもマミーが1ギア入れて、部長が2ギア入れてやっと自身を晒け出すことが出来た牧。熱海でも部長に揺さぶりをかけられてやっと、無意識のうちに蓋をしている自身の感情を曝け出すことが出来ています。

    戸惑いながらも自分の中の感情に向き合う牧に対し『全然変じゃないよ』と肯定したり『牧の存在が何よりも大事』とまっすぐに返せる春田は牧とは真逆の愛情表現をする人です。だからぶつかることもある。どちらが正しいとか間違っているとかではなく、それぞれの価値観の違いなのだと思います。結婚式に対しての最終確認をした牧も、実に彼らしい愛情表現だなと思いました。

   最近、某ドラマで友を亡くした男性に対し、恋愛感情があったのだろうと他者から指摘される場面が話題になりました。作中では具体的な恋愛描写はなく本人も自覚のないものでしたが、脚本家の方によると同性に対し明確な恋愛感情を持つ人物として描かれていたようです。

    放送後、それは大きな反響を呼びました。作品の時代背景や具体的な恋愛描写のなさから、高尚な精神愛やブロマンスだと押し延べる人が多く、逆に低俗なBLを絡めるべきではないと蔑視するコメントも散見されました。脚本家の狙いとしては誰かが誰かを想う気持ちを固定観念や偏見で縛る必要はない、差別されるべきではない、ということなのだと思います。ですが、まだまだ一般的に同性同士の恋愛の描写は偏見も多く、自然に受け入れられないのだなと感じました。

    リターンズで中の人たちが心掛けていたものに〝自然な感情に任せた嘘のない演技〟というものがあったと思います。これは過去のインタビューで良く目にしたものです。5年の月日を経てより深い関係になった2人は、自然と触れ合うことも多く明らかに性的な匂いのする表現もありました。劇場版で牧が結婚することに慎重だったことの一つに、形式的なもののほかに春田とより深く繋がることへの不安もあったのだと思います(炎の告白でもそれは吐露している)。

   リターンズではより深いところで繋がった2人を、変に排除したり逆に誇張することもなく自然に表現していたように思います。中の人たちが常々、好きになった人を心身ともに求めるのはごく自然なこと、決して恥じるものではないと捉えている人たちなので、全く臆することなく踏み込んでいるからだと思います。これってなかなかどうして凄いことだなと思います。それは私も意識していて、作品の中に落とし込むようにしています。

   キャッチーなパワーワードやコメディタッチな描写に隠れがちですが、ここまで男性同士の結婚を(形式的なものだけではなく深い所まで)描いた作品はそうはないように思います。徳尾さんの過去のインタビューを読むと、特にLGBTに関する調査はしていないとのこと。その当時とは取り巻く環境が随分と変わっていますが、おっさんずラブに関してはLGBTの作品として描くのではなく、こういう恋愛もあっていいよね、こういう家族のあり方もあっていいよね、という描き方をしているのだと思います。個人的に同性の恋愛が特別扱いされるのではなく、ごく自然な当たり前の風景として受け入れられる日が来るといいなと思っています。