牧の心の闇を読み解く

 牧の「でも、今が一番、生きてる感じがするんですよね」という言葉。

 牧は自分をないがしろにしているところがあり、自分を大切にできていないような所がありました。それはドラマの時からそう思っていました。自分の生き方、考え方、思い、気持ちというものを優先せず、ずっと誰かのそれを優先して来たからです。自己犠牲?それは愛ではありません。実は身勝手な行動です。

 恐らく牧はきちんとした躾をされて育ったのだと思います。それは彼の人のなりを見ていれば良く分かります。牧パパも牧ママも愛情深く育てた分、彼に対して少し干渉的なところがあるように思います(特にパパ)。

 牧パパが春田に「どうか、息子と別れてやって欲しい」と言ったのは春田が男だからではなく、純粋に自分の息子の夢を叶えてやりたい、応援したいという想いからだと思います。それは春田の夢(牧と本当の家族になること)を諦めてくれ、という意味に直結します。

 あの時に春田は覚悟をしたのかもしれません。牧のために自分の夢を諦めることを。

 牧は俗にいう〝とてもいい子〟だったんだと思います(自分は妹の立場で自由奔放なので、そこは実感として書けません)。今までずっと親の言う通りにして来て、春田のこともちゃんと認めてもらおうとして、自己承認欲求が強く、自己肯定感が低かった彼が、春田によって自己肯定され、一年かけて自分に存在価値があると思えるようになった。

 自分の力で立ち上がり、自分の力で何かを勝ち取り、自分の力で夢を掴む喜びがやっとわかって来て、生きている喜びを感じて来た頃だったのだと思います。それは牧が春田の愛によって変えられ、春田によって支えられて来たからなのですが、牧にはその自覚はありませんでした。

 人は人との関わりでしか自分を認めることができません。牧に生きている実感がなかったのは、裏を返せば他者との深い関わりを避けて来たということです(それは炎の告白のシーンで牧が春田に吐露していました)。だから心から春田を認めることも、春田を信じることも、実は出来ていなかったのです。

 牧が春田を認めて春田を信じることで、やっと牧は春田に認めてもらい、春田にも信じてもらえるのですが、その関係性がまだ出来ていなかったのです。

 自己犠牲という言葉は美しく捉われがちですが、自分をないがしろにしている部分もあります。自分が自分を大切にしていないと、人のことも大切にできません。

 牧は自分の感情を抑えることや切り捨てることに長けているので、春田のそれも切り捨てることに抵抗がない部分があります。春田に「もういいや…別れようぜ」と言われてあっさりと引き下がってしまったのもそうです。それが自分なりの自己犠牲(愛)だと思っている。でもそれはただの自己完結にしか過ぎず、愛ではありません。

 サプライズのつもりで香港に出向き、思い違いだと分かっていても、春田のいいわけすら聞こうとしなかった牧。春田の言葉に一切耳を傾けず、春田の家を勝手に出て行ったことにもそれは見受けられます。


 牧は自分の夢(ビジョン)で春田を縛ろうとしたのに対し、春田は牧の夢のために自分の夢を諦めようとしていました。お互いに想い合ってはいるのに、視線の先が結ばれていないのです。それは牧が春田の愛に気づいていなかったからです。


 春田がジャスに「…俺は春田さんのこと大好きです…それは…人として、先輩として…」と言われたことにイラついたのは、単純に牧と喧嘩別れしたあとの八つ当たりもあるでしょう。

 ですが、あれは牧を失った自分が人として尊敬されるような人間ではない、自分が牧に対して接して来た今までの行為(愛)が、他者から好感を持たれることであっても、牧には響かなかったということが、辛くて悲しくて叫んでしまったように見えます。あの叫びには春田の傷みが剥き出しになっていて、観ていて本当に辛いです。

 「どうして〝好き〟だけじゃダメなんだろう…」 という言葉が響きます。

 牧に対して「じゃあもう一生、ずっとひとりで抱えてろよ!」という言葉にも、「…いいです、春田さん先に行って下さい!」と自分をないがしろにしている牧に対して怒る春田にも、彼らしい愛が感じられます。

 自分に心を開いてくれない牧に対する苛立ちや悲しみ、自分を頼ってくれない牧に対する焦りや寂しさ。それでも命の危険に晒されて初めて、二人はやっとお互いに助け合うことの重みを知ります。それは春田が倒れた時には牧が肩を貸し、牧が倒れた時には春田が肩を貸していることでもわかります。

 やっと対等な立場になった二人。

 牧が自分をないがしろにする(自分を犠牲にする)ことは、春田にとってはとても辛いことなのだとわかって欲しい。春田に甘えて頼ることは恥かしいことでも、カッコ悪いことでもないということを分かって欲しい。春田に支えてもらうからこそ、牧は生きていると感じられるし、自分を信じられるのです。

 あえて『劇場版おっさんずラブ』にテーマを掲げるのなら、お互いに支えあうことの重み、難しさ、大切さだと思います。精神には性別はなく、恋人や夫婦、家族や友達にも言えることで、老若男女問わず誰もが抱えている悩みです。それを普遍的だと言っているだけで、誰かを弾き出しているのではありません。決して目に見えるものだけに惑わされないで欲しいのです。