春田が牧の手を握る意味
劇場版おっさんずラブで春田と牧が手を繋ぐシーンは2回あります。1回目は夏祭りの恋人繋ぎ。2回目は炎が燃え盛る工場跡でのシーンです。どちらも春田から牧の手を取っています。ドラマでは人の目を気にして牧との距離を気にしていた春田が、です。
個人的には恋人繋ぎよりも、燃え盛る工場跡で牧の手を握るシーンの方が好きです。これは台本にはない演出なので、監督の指示か田中さんのアドリブかはわかりませんが、肩を抱く、身を寄せ合うといった行為ではなく、しっかりと牧の手を取ったことに自分は激しく揺さぶられました。シナリオ本を読んでそれが台本にはないということを知って、思わず泣きそうになりました。
男性が手を握るという行為にはいくつか理由があります。
大切に想っていることを伝えたい
独占したい
危険から守りたい
安心させたい
この人を大切にしようという決意の表れ
どれも当てはまると思います。特にこのシーンでは二人は喧嘩別れをしている最中です。春田は本能的に言葉では足らないものを、手の温もりとその力強さで牧に伝えたかったのかもしれません。
もちろん春田自身が死の恐怖と闘い、その不安を払拭するために牧の手を取った、という解釈も出来ます。
そしてあの愛の告白へ繋がります。自分が劇場版の中で一番好きなシーンです。この長いセリフの中に春田の覚悟が見えます。牧を一生かけて大切にしたいという決意の表れが感じられます。
また、セリフが台本とは少し違っています。
「それでも俺は、お前じゃなきゃダメだ」が、
「それでも俺は、牧じゃなきゃ嫌だ」になっています。
これはキラキラデートの時、牧に「自分の服くらい自分で選んで下さいね」と言われて、春田が子どものように「やだ」と応えるセリフを踏襲しています。実に彼らしい言い回しです。それに対して牧も「俺も、春田さんじゃなきゃ嫌だ」と応えています。二人とも駄々っ子のように素直な気持ちをぶつけ合います。
もうこの時に自分は涙、涙、で息が出来ないほどなのですが、キラキラデートの時、思わず振り払ってしまった牧の手。その手をこのシーンではしっかりと握り、神に誓いを立てるのです。この人を生涯の伴侶とします、と。
指輪の交換も、証人も、祝福する家族や仲間たちも、二人を繋ぎ留める確かなものは何もないけれど、二人の心と心は繋がっている。きっとこの先も乗り越えなければならない壁はいくつもあるけれど、ゲイを障害として描かない今作。人は愛によって変化を遂げ、人として育って行くものなのだと感じ入る名シーンです。
自分は最初にこのシーンを観た時、もう十分だと思いました。二人の結婚式が見たかったなどという願望は、一瞬にして消え去りました。もうこの先これ以上にないと思うほど、心が満たされたのを記憶しています。実におっさんずラブらしい、二人らしい、神との約束です。
追記:この後、劇場版おっさんずラブサントラを聴いていて、このシーンでかかるおっさんずラブのメインテーマの副題が〜約束〜と知って泣きました。
あえて誓いとは言わず〝約束〟とするのが実におっさんずラブらしいというか、春田と牧らしいと思っていたんです。まさか副題になっているとは思っていなかったので驚きました。