子どもの「やりたい!」を信じて見守ることが新しい価値を生むと思う
密かに。本当に密かになんですが、ドキュメンタリーの撮影が始まっています。
あ、もちろん、これはガチでテレビで流れるとかじゃなくて、趣味で撮影してみようよ!というもので、
とある会社さんと僕の考える教育感がマッチして、少しずつ進んでいます。
今は個人で何でもできる社会になりつつある
でも、今は本当に何でもできる時代になったと思います。
ちょっと前まではなにかやるのに、ものすごい労力が必要でした。
インターネットでデータをダウンロードするのにだって2時間待つのは当たり前!みたいな感じでした。
それが今や、2GBを1分でダウンロードできる時代です。
恐ろしい速さになったなって思います。
世の中の見た目的にはほとんど変化はなくても、形がないところに形ができ、急激にアップグレードしていっている世の中。
だからこそ、新しい職業が生まれ、新しい遊びも増え、新しい趣味も増える。
いろーんな人が、新しい、面白いことを考え、形にしていっている。
だから、ちょっと前までプロがたくさん集まらないとできないものだって、今は数人で、最悪一人でも実現可能になっていっています。
このドキュメンタリーの撮影もそんなことなのかなって思います。
やりたい!という無価値を、価値になるまで信じて見守る
僕は何が起こるか分からない世の中だからこそ、「やりたい!」を大事にしていきたいなって感じていたりします。
それはなにか良い影響が生まれるだろうとか、価値を明確化して…とかじゃなくて、そういうのももちろん大切なんだけど、まったくそういうものとは無縁の…
無価値の中から、価値を見出すというものをしていく。
それが言葉として現れるのが「やりたい!」です。
たくさんの人がこの「やりたい!」をかき消しています。
「できるわけなくない?」
「意味あるの?」
「我が強いんじゃないの?」
「自分だけ幸せになってるよね」
「本当にできると思ってる?」
みたいな、論理的な思考回路を持つ人達は心配を含めて、こんな言葉を投げかけてくれます。
でも、その「やりたい!」の背景はその「やりたい!」を言った本人しか今はまだわかり得ない世界があるんじゃないかなって思うのです。
そもそもやりたい!を言う人がそんなに事細かく考えて言葉を発していることは稀で、うまく言語化できないと思うのです。
そういう人にこそ「どうしてやりたいと思ったの?」「どうしたらできるかな?」「なにをして欲しい?」みたいな言葉がけを周りがしていく。
間違えることもあるかもしれないし、失敗することもあるかもしれないし、方向が変わることがあるかもしれない。
でも、そんなところを根気強く支えていくからこそ、今までにない新しい価値が生み出されていくんじゃないかなって思ったりするのです。
今まさに、自分の子どもたちも同じような課題に直面しています。
「やりたいことはあるんだけど、うまく言葉にできない」
それを根気強く見守って、必ず乗り越えられるって信じていく。
それが新しい価値を社会に送ることになるのかなって思う今日このごろです。
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