中学生の時、記憶喪失になって友人や、学校、親との接し方で悩んだ話
Facebookには中学の頃の友人たちがいるけど、中学生の僕はとてつもなく人付き合いが悪かったと思う。
なぜなら記憶が消えていて、友人とまともに話すことができなかったからだ。
その頃の僕は学校の教室には行かず、相談室という部屋に行っていた。
今回は中学生の頃に起こった記憶喪失になった僕の状態について話して生きたいと思う。
記憶障害とは
そうそう、このように短期的な記憶が抜け落ちたわけではなく、長期的な記憶が抜け落ちています。
なので、友人も何もかもを覚えていないのです。
そもそも友人がいたことすら覚えていない。そんな状態。
学校に行くと行っても、学校の行き方すら覚えていない人が、学校の中で存在する人のことを覚えているはずがないのです。
変わらず接してくる友人たちの恐怖と葛藤
友人たちは優しかった。
「どうしたの?最近、見ないけど!」
「教室来なよ!待ってるよ!」
「何かあったの!?」
こんな感じで語りかけてくれるのです。
でも、よく考えてみてください。友人たちは事情を知らないのです。そして、話しても理解できるはずがないのです。
まったく知らないレストランに入ったら「お待ちしておりました!いつものやつをご用意しましたよ」って言われているような状態です。
「人違いじゃないですか?」
そんな気分にもなってしまうのと同時に、この人達になんて申し訳ないことをしているんだろうって思ったことも何回もありました。
記憶障害がある時に嬉しかったことは『無理させない』
ここでみんなと共に親も、先生も『無理して思い出さなくて良い』『学校も教室に行かなくて良い』『勉強も無理にしなくて良い』ということを考えてくれたことでした。
今思えば本当に特別な高待遇だったなって思います。
学校に相談室があり、僕だけがそこにいて、僕が好きなことができる。
何をするわけでもないし、ただただ側にいてくれる人がいる。
学校から帰ったら「おかえり」と言ってくれて、「何か思い出したことはないの!?」と責めたくなるのをグッと堪えて、今の記憶が消えた状態の僕と過ごす。
どうしようもないってことが分かってたからかもしれませんが、相当な覚悟で僕と向き合っていなければ無理なんだろうなって思いました。
家庭教育の重要さ
僕はこの時、まるで勉強ができませんでした。勉強をしようという気も起きませんでした。
それは何も分からなかったからです。
でも、家庭からは勉強以上の大切なものを教わったと思います。
困った人との接し方、弱い人との接し方、子どもに対する愛、社会・世間体の考え方、家庭を守ることと、仕事をすることのバランス。
勉強ではないところですが、家庭はそういう部分を教えるわけじゃなくて『見せる』『背中で語る』
そんな『人間にとって大事な根源を創る場所』なんだろうなって思います。
心の距離はお互いが近づく努力をして始めて成り立つもの
そんな家庭での愛を実感して、数ヶ月が経ち…、数人の友人たちとは普通の関係性が築けるようになりました。
それは相手だけじゃなくて、僕自身も心を少しずつ開いたから。
心の距離って本当に難しいもので、一方が一気に詰めてもしょうがないし、かといって無関心でもいけない。
人によって距離の詰め方は違うのだけど、近づけようと努力をして始めて成り立つものなんだなって思います。
子どもは空気を良い意味で読めないので、誰とでもすぐ友達になれますし、相手も「子どもだから」という理由でオープンに付き合いやすい。
けど、ある程度空気を読めるような、知恵が働くようになってくるとすぐ信頼することはだんだん難しくなってくる。
それでも、想い続けて時間をかけて少しずつ距離を縮めて、最終的に仲良くはなれるんだなって思ったりします。
距離の詰め方が難しい人や、動物とも比較的すぐ仲良く慣れるのはこの出来事を体験しているからじゃないかなって自分的にも感じたりする今日このごろでした。
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