見出し画像

バカ真面目の何が悪い

『誰かの物差しで自分を測ってたんじゃ
ロマンが足りないんじゃないかい?』
(ももいろクローバーZ・BLAST!)

真面目、という形容詞がネガティブな意味で使用されることは最近少なくなってきたように思う。
学校は悪だ、いいこちゃんはつまらない、体育会系こそ正義、みたいな意見は、この多様性社会では鳴りをひそめ、素直に・実直に・ひたむきに頑張る男の子が主人公の漫画がヒットする。
それと同時に、全力、という言葉も以前ほど支持を集めなくなってきたようだ。全身全霊にがむしゃらにやるより、各方面に配慮しながらスマートに行うのができる人間の特徴であり証拠である、という空気を感じる。

私は三角食べができない。ドラマは一気見しかできない。一日に複数の予定を入れるのが苦手で、気に入った曲は延々リピートする。高校時代は、部活をやると勉強ができないと思ったので、部活に入らなかった。大学時代は、学問とバイトで手一杯と思ったので、サークルには入らなかった。働き始めてからは、MPが全て労働に食い尽くされてしまっている感じがする。平均残業時間は月30時間前後で、特に仕事に関して大きな悩みはない。よって、一般的にはアフターファイブを有効に使える状態であるはずだが、金曜以外の夜にスーパーに行けるようになるのに2年かかった。
水曜にナイターを観に行く同僚を見て、何が自分と違うのかを考える。体力?確かに体力に自信はない。でも、体力的にしんどいというよりは、気力がないのだ。労働だけでその日のキャパは満杯になっていて、他の何かを受け入れる余裕がないのである。
ある時先輩が私に、「今からそんなに真面目にやってたら、長く続かないよ」と言った。私は真面目にやっているつもりはなかった。ただ、やれと言われたことを、自分が納得いくようにやっていただけだった。先輩は、「常に80%を維持して、100%出さないといけない時に出せるようにしとくといいよ」と続けた。そのほうが評価もされやすいらしい。私は、80%の働き方について考えた。10回の書類作成のうち、2回ダブルチェックをさぼる?一週間に一度、定時ギリギリに出社する?性格の悪い一休さんみたいなことしか出来ない気がした。つまり、不器用なんだと思う。私には0を100に、そして100を80にするのが精一杯で、0をいきなり80にはできない。しかし、なぜ「真面目にやっていたら長くは続かない」と言い切れるのだろう?
例えば空の本棚に、本をぴちぴちに詰めてから本を出し入れするのと、8割程度適当に入れてからぴちぴちにするのとではどちらが簡単だろうか?
自由にできるスペースが狭いほど、そこに入れられる本を選ぶのは難しいはずだ。
最初から最大を目指さないと、可能なものも不可能になってしまう気がする。
逆に、最大状態を続けていれば、最大は広がると信じている。
先輩の考え方はそれはそれで理に適っているが、私の結末を勝手に悲観される筋合いはない。自分の物差しで満足行くまで、一つに集中することは、私に合っているはずだし、それしかできないんだからしょうがない。
バカ、とは言われていないが、バカなんだろうなとは思う。
バカ真面目の何が悪い。

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?