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山小屋で働いていた私に、自然が教えてくれたこと。



見える価値 ばかり追い求めて、
なかなか本質的な部分を見失いかけることが多くなってきている。それは私のことなんだけど。

そういう社会の構造になってるから、
わたしにはよくそう見える。

見えて、評価され、対価として得られるもの
それだけが現実世界で価値あるものではないから。

25歳のじぶんにとって、
今後の人生のテーマは?と問われたとき

感動し続けることだった。


北アルプスの山小屋で働いてた時、毎朝早番を終えてから必ず沢に行って昼寝をしてた。朝寝というのか…ここに来ると心が整う。休憩の時は、少し開けた場所で簡単なストレッチとヨガのポーズをして、空を見ながら呼吸する。

そんなとき、あ、これだな。とふに落ちる。


同じ場所にいても、自然の中にいると日々の変化に気づき心が躍る。
太陽が山の向こうから昇ってくる瞬間、
日の光によってきらきらと輝かせる葉や木々、
沢の流れ、鳥の声、そして台風がやってきて、
過ぎ去ったと思えば途端に秋の香りをさせてきたり。
青空に浮かぶ雲が決して同じ形になることはないし、寒々しい曇りの日でも、山に沿って水蒸気が上がり雲になっていく姿を見て、本当にわたしは夢中になっていた。

普段見過ごしてた空の動き、そこで必ず見守ってくれていたはずなのに、私たちは一生懸命目の前のことに必死になってたことに気づく。

わたしは毎日、小さな変化に感動していることが最高に幸せだった。
もう、それだけで十分満たされていた。



それらの、一言で言えば ’感動’ した瞬間をSNSで発信したとき、たくさんの人にそれが伝わっていたという。そして、複数の人に行動や思考に繋がる何かしらを届けられていたという。嬉しかった。自分の感動が見えない価値として波紋のように広がっていったのだ。

そのうちの1人、大学時代に出会った他大学の友人が社会人2年目で戦ってたとき。自分が本当にやりたいことはなんだろうと向き合うきっかけになったということを話してくれた。その子は今、1社目の企業を退職し、地方へ移住。
そのタイミングで私も二社目に参画したまちづくりプロジェクトに参画したとき、その友人も一プロジェクトメンバーとして奇跡的な再会を果たした。やりくりしようとしても難しいくらい、奇跡というか繋がっているとしか思えなかった。余談が長くなってしまったけど、彼女は仕事でもプライベートでも理解ある大切な友人で、本当に感謝してる。


そう、たとえ見えなくても、価値あるもの。

それは私にとって、感動すること。


色んな色眼鏡があって、好きな色眼鏡をかければいいんだよ。と、学生時代に、わたしの厚く信頼している大人が教えてくれた言葉を思い出す。目に見えるものや定義されてるものが全ての価値ではないんだと大きな気づきを得た瞬間だった。

そしてさらに言えば、自分の中で留めておいても良いかもしれないが、表現することはとっても大切なことなのだと。色んな色眼鏡があっていい。だけど、わたしの好きな色眼鏡を大切に温めよう。
自然がいつも私に教えてくれる。