アメリカ大都市でシングルマザーになった話①

19歳の時に留学生としてアメリカにやって来て、気づけば約20年が経っていた。夢を追いかけて渡米して、その夢が指の間からこぼれ落ちてしまわないように、ただがむしゃらに走り続けた。20代の頃には、この国で大人として暮らすという事がどんなことなのか右も左も分からない状態で、なんとかビザを取って、なんとかお金を稼いで、なんとか一人暮らしをして、私にとっては夢のような環境の中で切磋琢磨しながら暮らし、それなりに色んな恋愛もくぐり抜けてきた。20歳になる直前でまったく新しい環境に放り込まれ、刺激と恐怖と興奮と好奇心ばかりを感じながら生きてきた私の精神は、もしかするとどこか少女のまま、成長しきっていなかったのかもしれない。実際に、私は「現実的な生活」の構築というところが、あまり上手じゃないのだと思う。

自然な流れで恋愛関係になり、深いパートナーシップと友情を結んだ相手と結婚して数年経ったある日、突然、私は妊娠した。子供を持つかどうかは「自然な成り行きにまかせる」というぼんやりとした同意を交わしていたものの、正直に言うと私は自分が子供を生むというシナリオを想定していなかった。ある日、急に激しい腹痛に襲われてERに駆け込み、てっきり腸炎か何かの診断を受けると思っていたら、医師がやってきて「陽性でしたよ」と何食わぬ顔で私に言った。何が陽性なのだろう?と思いキョトンとしていたら「妊娠していますよ。」と言われ、私は硬直した。これからのキャリアに向けてたくさんやりたい事がある。経済的なこと、夫との関係性、自分に母親業がつとまるのか、出産なんていう大仕事を自分は乗り越えられるのか、クエスチョンマークが一斉に頭に浮かんだ。そうこうしているうちに別室に誘導され、そこですぐにエコー画像を見せられた。心臓がトクトクと動いていた。呆然としたまま帰宅し、夫に妊娠を告げると、「we will figure this out, we have choices」と言われた。冗談じゃないと思った。選択肢は一つしかない。生むに決まってる。そう私は答えた。

それから月日が流れ、息子は無事に誕生し、すくすくと育っていた。だけれど、息子が育つのと比例して、私と夫の関係性は悪化していった。まだ新生児の息子の世話をするのに夫は「協力的」というよりは「異常なまでなこだわり」を見せた。彼のこだわりやルールから私の行動が外れてしまうと、彼はものすごく怒った。

例えば、授乳のルーティンは夫と交代だったのだけれど、彼の担当する時間帯に私が授乳(胸が張っていた)していたら、ものすごく怒られたりした。「何のためのルーティンだ?俺のスケジュールが台無しになった!」と言われた。授乳した事を怒られる母親なんて滅多にいないだろうから、今では笑い話だけれど。また、赤ちゃんを立たせて遊ばせるためのアクティビティセンターを義父母が買ってくれた時にも、「俺はこんなプラスチックのゴミは家に置きたくない!」と怒鳴り夫はキレた。結局、それは一度も使わずに返品する羽目になった。そんなような出来事が、割としょっちゅうあった。

ある時、何かの理由で夫と口論になったことがあった。その時、夫は赤ちゃんだった息子を私の腕から奪い取り、「俺と俺の息子に近寄るな!」と叫んで私の目の前でドアをバーン!と音を立てて閉めた。その時だと思う。私の中で、何かが音を立てて崩れ始めたのは。

こんな話をすれば「お涙頂戴だね」とか「見る目がないんだね」とか「計画性がないんだね」とか、そんな言葉でジャッジされてしまうような気がして、あまり詳しく人に話したことはないのだけれど、もしかしたら今この瞬間にパートナーからabuseを受けている誰かにとって役に立つ可能性もあるのだから、書いてみよう、そう思い立った。

私がこの記事を書き始めた理由は、Netflixのシリーズ『MAID』のストーリーに触発されたからだ。普通に恋愛をして、普通に子供を生んで暮らしていた女性が、パートナーの暴力に恐怖を覚えてシングルマザーになるプロセスを描いたストーリーだ。

私は今、別居開始から約2年目、共同養育での離婚成立を待っているところ。アメリカでパートナーと離婚し、子供を育てながら生活を立てていくこと、そこでぶち当たる色んな問題について、少しずつ書いていきたいと思う。私は実際に自己憐憫的な感情が強いのかもしれないし、見る目も計画性もないのかもしれない。だけれど、パートナーからの実際的な暴力や見えない暴力、言葉の暴力って、いつ誰に降りかかるか分からないものだと思う。誰も、そんな事を想定して結婚したりしない。だからこそ、そんな状況の最中にいて暗闇の先が見えないでいる誰かに、私の体験を共有したいと思う。



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