アメリカ大都市でシングルマザーになった話②

*『MAID』ネタバレが少しだけありますのでお気をつけ下さい。

元夫になる人の名誉のために言っておくけれど、私はもともと彼の「人柄」を好きになったのだ。人当たりが良くて、いつも笑顔で、時々拙くなる私の英語も辛抱強く聞いてくれる優しい人だった。付き合い始めた当時からずっと、私のキャリアも応援してくれたし、色々と協力してくれた。私達はとても仲が良かったと思う。同じ業界で活動していることもあり、共通の友人もたくさんいて、社交の場でも彼は私のことを褒めてばかりいるような人だった。彼は私のことを愛していたし、私も彼を愛していた。関係が上手くいっていた頃は、お互いに協力し合って様々なことを乗り越えていった。付き合って2年、結婚して約7年、ほぼ10年を共にしたことになる。

ただし、いわゆる「レッドフラッグ」は、付き合っていた当時からあった。何かの拍子に感情的になると、彼は大声をあげて泣きじゃくったり、私の体を掴んで強く揺さぶったりしたことがあった。一度、電車の中で口論になった時も、持っていたパンの袋と観葉植物を足で踏みつけてぐちゃぐちゃにした後で、プラットフォームに膝をついて「俺を捨てないでくれ」と大声で泣かれたこともあった。そんな出来事が起こるたびに、「後戻りするなら今かな・・・」という考えが頭をよぎるのだけれど、落ち着いた後の彼に抱きしめられながら「君を愛してるんだ、こんなに愛してるんだよ」と言われると、「こんなに愛してくれる人なんていない。私も悪かったな。」と考えをあらためるパターンが続いた。

『MAID』のストーリーの初めの方で、とても印象に残った部分があった。それは、住む場所もお金も仕事もなく2歳の子供を抱えた主人公が福祉局に相談に行くシーンだ。担当者にDVシェルターへ行くことを勧められた主人公は、「『本当にDVに苦しんでいる人』が利用すべき施設を私なんかが使うべきじゃないと思う」と言って、自分がDVされている事実を否定するのだ。彼女が家を出たきっかけは、パートナーが彼女の顔の真横の壁をこぶしで殴り穴を開けたことが理由だった。実際に自分が殴られたわけじゃない。彼が殴ったのは壁。彼は反省している。だけど怖い。子供を守らなくてはいけない。DVでは・・・ない・・・と思う。

この感情が、私には痛いほどよく分かる。結婚するくらいに深く好きになった相手だもの。優しいところもたくさんある。これまでに築いてきたパートナーシップ。良かった時の思い出を、人間というものはそんなに簡単に手放すことはできない。

よく考えたら、これが一番辛かったかもしれない。『MAID』の主人公の彼女も私も、混沌の最中に一人立ちすくむ自分を振り返り、「what the hell happened to me?」と、どこかで思考停止していた。どこで、何の歯車が狂って、こんなことになってしまったんだろう?立ちはだかる無力感と、世界に自分がたった一人取り残されたような孤独感。そんな虚無の中にいる間も、現実は待ってくれはしない。子供と自分が食べるためのお金は必要だし、住む場所も探さなければいけないし、なんとかして生活を立て直していかなければいけない。

私の場合は、別居するにあたって色んな壁にぶちあたり、WOMANKIND という非営利団体と、無料の調停(Mediation)サービスに申請した時に、同じような質問をされた。DVがあったかどうか。私は、どちらの時にも「手を挙げられたことはないのでDVはなかった。」と答えたと思う。だけど、担当者の人達はこのパターンに慣れているのだろう。さらに掘り下げる質問をされて、「怒鳴られたり物を壊されたことはある」「押されて転んだこともある」と伝えた時に、「Ok, that's what he did to you」と言われたことを鮮明に覚えている。一度、道端で喧嘩になり強く押されて転んで、目撃者に警察を呼ばれたことがあった。数人の警官に囲まれて「被害届を出しますか?」と聞かれた時、私は警察に被害届を出さないことを選んだ。たいしたことはない。自分の子供の父親に前科がつくなんて、良い選択なわけがない。ただの痴話喧嘩。それが正しい選択肢だとその時は思った。今は・・・正しい選択だったのか、よく分からないでいる。ただ、彼の将来に不利になるようなことはしたくなかった。事態をさらに複雑にするようなこともしたくなかった。

そこで私自身もDVシェルターへの入居を申請する選択肢を提示された。だけれど、シェルターに入ってしまえば、子供は自由に父親と連絡も取れなければ、面会もできないということだった。私には、それは極端すぎる選択肢に思えた。私の希望は、できる限り穏便に有効的に離婚し、子供を共同養育で育てることだった。元夫になる人は子供に対してはものすごく優しく、良い父親だし、私自身、一人で異国の地で子供を育てる自信も経済力もなかった。

ひとつひとつの決断が、その後の道に影響を与える大きな決断だった。



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