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【3.11から11年】大震災に翻弄された福島の温泉地

先日に引き続き、災害の記憶を思い起こすために、2011年の東日本大震災後に執筆した原稿を紹介したい。新潮社のモバイルサイトに連載していたときのものである(2011年7月)。

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2011年6月中旬、福島、宮城、岩手の温泉をめぐる旅に出た。東日本大震災で未曾有の被害を受けた3県は、日本有数の温泉の湧出地でもある。なかでも福島は、温泉地の数が140カ所と全国5位を誇る。

しかし、震災後は観光の自粛ムードや風評被害で、ほとんどの温泉地で宿泊者が激減している。とくに原発の事故が尾を引いている福島は深刻だと聞く。経営破綻や休業を余儀なくされる旅館も相次いでいる。

旅館や温泉は人が訪れなければ、どんどん疲弊していくばかりだ。宿泊客が減ったからといって、義援金がもらえるわけでもない。

そこで1週間ほど休みがとれたので、3県の温泉地をめぐることにした。もちろん、僕一人の力では温泉地を救うことはできない。今できるのは、わずかなお金を現地で使うことと、今の温泉地の現実を知ること。そして、現地で体感したことを、このような連載などを通して、できるだけ多くの人に伝えることだと思う。

最初に訪れたのは、福島県・南会津に湧く木賊(とくさ)温泉。10軒弱の宿が集まる山あいの温泉地。福島第一原発からは遠く離れており、日本海のほうが距離的には近いくらいだ。放射線量も東京都内よりも低い。

投宿したのは、旅館「井筒屋」。「日本秘湯を守る会」の宿で、温泉が湯底から湧き出す足元湧出泉が自慢だ。一度、日帰りで訪れたのだが、湯の鮮度がすばらしかったので、宿泊したいとずっと思っていた。

ところが、3月11日を境に源泉が止まってしまったという。正確にいえば、湧き出ているが、水のような冷たい鉱泉しか出なくなってしまったのだ。日本各地で突然、温泉が湧き出したり、泉温が変化したりという現象が起きているが、震源から遠く離れた木賊温泉にまで影響を及ぼす地震のエネルギーのすさまじさには驚く。

温泉宿にとって源泉を失うほどつらいことはない。それでも主人と女将は、「せっかく来てくださったのに申し訳ありません」と何度も言って、心のこもったもてなしをしてくれた。イワナの刺身と塩焼き、近くの山で採れた山菜、まいたけご飯……。山の幸はどれも美味だった。山中の旅館にもかかわらず冷凍の刺身を出すところもあるが、井筒屋は山の幸に徹している点に好感がもてる。

食後には、冷たい鉱泉をボイラーで沸かしてくれた。足元湧出泉に比べると湯の鮮度は落ちるが、正真正銘の源泉かけ流し。何よりもおもてなしの心に感激だ。女将いわく、かつて地震がきっかけで一時的に源泉がぬるくなったこともあるという。今回も源泉が復活することを願うばかりだ。

ちなみに、宿のすぐ近くにある木賊温泉共同浴場「岩風呂」は健在。地震直後は、湯量が半分に減ったそうだが、今は元気にアツアツの湯が湯底から湧き出している。井筒屋に宿泊した人は、無料でいつでも利用可能だ。

(※井筒屋は2019年に台風による浸水被害で休業。2020年に営業再開)

続けて投宿したのは、福島県天栄村に湧く岩瀬湯本温泉。宿場町の面影が今も残る人気観光スポット「大内宿」は車で20分ほどの距離にある。

岩瀬湯本温泉の開湯は9世紀。歴史ある温泉地だが、現在は2軒の温泉宿が営業するのみ。とても小さな鄙びた温泉地で、漫画家のつげ義春が訪れたことでも知られる。

今回は以前、日帰り入浴で訪れ、「いつか泊まってみたい」と思っていた「源泉亭湯口屋」に宿泊。なんと270年の歴史を誇る。茅葺屋根が立派で、玄関を入るとデーンと立派な階段が出迎えてくれる。黒を基調とした館内は木材がピカピカに磨かれ、黒く光り輝いている。歴史と風格を感じさせる宿だ。

黄色を帯びた透明湯は、わずかに塩味がする塩化物泉。短時間でポカポカと温まる。汗が引かぬ間に、宿の目の前にある共同浴場「おもで湯」へ。本来は、地域の住民しか入浴できないが、宿泊客は特別に入浴が許されている。こちらもアツアツの湯が激しくかけ流しにされていた。

馬肉やイワナなど地の物がふんだんに使われた夕食は、神奈川県から宿に嫁いだ若女将が部屋に運んできてくれた。「大震災以来、急激にお客さまが減りました。このあたりは、放射線量も低くて安全なのに……」。実際に、僕が宿泊した日は、平日とはいえ貸切状態。それでも明るく気丈に振る舞う若女将の笑顔を見て、僕はちょっぴり安心したのだった。


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