【3.11から11年】実家のような宿で温泉めぐりができる日常に感謝した
前回に引き続き、自分の災害の記憶を思い起こすために、2011年の東日本大震災直後に執筆した原稿を紹介したい。新潮社のモバイルサイトに連載していたときのものである(2011年8月掲載)。
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蔵王温泉をあとにした僕は、さらに北へと車を走らせ、再び宮城県に入った。次の目的地は、すでに何度も訪れている鳴子温泉郷。この地でしばしば湯治に励む僕にとっては、第2のふるさとのような場所である。
鳴子温泉郷は、東日本大震災で甚大な被害こそ受けなかったが、やはり観光面でのダメージは大きかった。鳴子もまた観光客減に苦しむ温泉地のひとつである。一方で、僕が訪問した6月の時点では、被災した宮城県南三陸町の住民など約900名が鳴子温泉の旅館に避難していた。
昔から鳴子温泉郷は、三陸海岸の漁師たちが日頃の重労働の疲れを癒す湯治場としての役割を担ってきた。温泉に入ることで、被災者のみなさんの気持ちがほんの少しでも癒されることを願わずにはいられない。
今回、宿泊したのは鳴子温泉郷のひとつ、川渡(かわたび)温泉。のどかな田園風景が広がる静かな温泉地である。その外れにある一軒宿が「山ふところの宿みやま」。以前、日帰り入浴で訪れた際に温泉と宿の雰囲気の良さに惚れ、そのうち泊まってみたいと思っていた。
田んぼと林に囲まれた宿は、ちょっと大きな田舎の民家といった外観。登録有形文化財の母屋は、今では珍しくなった茅葺屋根。なぜか「田舎の実家に帰ってきた」かのようなほっこりした気分になる(実際の僕の実家は完全な住宅街で、こんな情緒はないけれど)。
玄関を入ると、宿の主人が笑顔で出迎えてくれた。番頭さんも、仲居さんもいない。家族経営の小さな宿だ。僕が通されたのは、1976年築の本館の部屋。僕が生まれた年に建てられたというだけで親近感がわく。
みやまは大きく2つの建物に分かれている。ひとつは、湯治向きの「本館」。広縁付きの6畳の落ち着いた部屋には、キッチンや冷蔵庫、食器など自炊に必要なものがひと通り揃っている。すぐにでも、ここで生活できそうだ。もちろん、1週間以上滞在するような本格的な湯治にも対応している。
もうひとつは、総金山杉づくりの「新館」。木のぬくもりあふれる空間は、「田舎の実家」のイメージを覆す洗練された雰囲気だ。一人旅なら本館でも満足だが、誰か連れがいるときには、ぜひとも新館に泊まりたい。
とくに気に入ったのが、本館の宿泊者も利用できる吹き抜けのラウンジ。シンプルすぎず、オシャレすぎず、絶妙なバランスを保ったスペースは居心地がよく、夕食までの時間のほとんどをラウンジで過ごした。
ちなみに、本館、新館ともに1泊2食付き、1泊朝食付き、1泊夕食付き、1泊素泊まりなど、旅行者のスタイルに合わせたプランを選べるのがうれしい。温泉旅館というと、1泊2食付きが常識だが、これからは「夜は外食、朝食は宿で」というように旅のスタイルを選べる宿がもっと増えていくのではないだろうか。
温泉は、内湯のみ。露天風呂がないと納得しない人には向かないかもしれないが、僕にとっては上質の湯がかけ流しにされているだけで十分。川渡温泉は緑色の濁り湯が特徴だが、みやまの温泉は、琥珀色を帯びた透明湯。わずかに鉱物臭もある。夏場にぴったりのぬるめの湯は、ビロードに包まれるかのようなやさしさ。あまりの気持ちよさに、1時間も湯船からあがることができなかった。
みやまの魅力は温泉だけではない。野菜中心の手づくり料理も絶品。どれもやさしく丁寧な味でおいしいが、とくに、ふわふわな食感の飛龍頭(がんもどき)が印象に残る。そして、何よりも宿の前の田んぼで収穫された米が最高のご馳走である。
主人の話によると、大震災のときにはライフラインがすべて止まってしまい、建物の損傷もところどころあったという。営業を再開できたのは、1カ月半後のゴールデンウィークのこと。「当たり前のように田植えができ、お客さまを迎えることができるありがたみをあらためて感じた」としみじみと語る姿を見て、僕も「こうして温泉めぐりができる日常に感謝しなければ」とあらためて思った。
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