札幌に移住して、人生で初めて「冬が待ち遠しい」と思った話
「早く雪降らないかなぁ」
幼稚園に通う娘が言った。雪遊びやクリスマスなどが楽しみで仕方ないのだという。
実は、親の私も同じことを考えていた。
「冬が待ち遠しいな」
こんなことは人生で初めてである。春や夏や秋が待ち遠しいと思ったことはあるが、寒さが厳しい冬を待ち望んだ記憶はない。
今年1月に札幌に引っ越してきてから、もうすぐ1年が経とうとしている。引っ越してきたときには、すでに雪が積もっていたので、札幌で冬の到来を迎えるのは初めてである。
移住する前は、札幌で暮らすことに心が躍っていた。ただし、雪のある生活を除いては。
昔から寒いのが苦手だ。子どもの頃は雑巾の水を絞るだけでしもやけになっていた。入浴時に、冷水を張った桶と、湯船の湯に交互に手をつけて治していたのが懐かしい。当時は冬の寒さを憎たらしく思ったものだ。
その印象は大人になってからも変わらなかった。友人がスノボーに出かけるのを「なぜ、わざわざそんな修行のようなことをしないといけないのだ」と冷ややかな目で見ていた。
だから移住前は、札幌の暮らしは楽しみだが、冬はひたすら耐えるしかないと半ばあきらめていた。
だが、実際に暮らし始めると、そんなマイナスイメージはどこかに吹き飛んでしまった。
もちろん、現実には不便なことも多い。雪道は歩きづらいし、凍結した道にすっ転びそうになる。道路の雪が解け始める時期も悲惨だ。ぐちゃぐちゃにシャーベット状になった道を慎重に歩ていても、横を通り過ぎた車のはねた泥水が容赦なく飛んでくる。
外を歩けば凍てつくような寒さ。最大限の防寒はしていても、寒さでキーンと頭が痛む。そして室内に入ればメガネが一瞬でくもり、視界が失われる。そのたび「くそう」とみじめな気持ちになる。
私はマンションに住んでいるので、雪かきはしなくて済むが、毎日のように雪かきをする人は大変だ。雪かきで命を落とす人さえいるのだから、やはり北海道の冬は過酷である。
いざ冬がやってきたら、「今日も寒いなあ。まいったなあ」と憂鬱に思う日もあるだろう。いや、絶対ある。
それでも、冬が待ち遠しく思えるのはなぜだろう。
たぶん、朝起きて雪が積もっている光景が感動的に美しいからだ。私はロマンチストな人間ではないが、朝、窓の外を見たときに、一面銀世界になっていると、気持ちが上がる。子供のときから変わらない感覚だ。
今のマンションは比較的高層にあるので、見渡す限り真っ白い世界が広がっている。遠くには雪化粧をした山々も見える。
青空なら最高だ。冬のやさしい日差しに照らされた雪がキラキラと光っている。暖房の効いた部屋の窓を開けたときに入ってくる、ひんやりとした新鮮な空気も好きだ。
降り積もったばかりの雪はさらさら。雪合戦の雪玉をつくろうとしても、パラパラと手の平からこぼれ落ちていく。誰も踏み入れていない雪道をブーツで踏みしめると、キュッキュッと音を立てる。なんとも言えないフレッシュで不思議な感覚が足裏から伝ってくる。これもたまらない。
いくら寒くても、不便でも、雪は原始的なよろこびを呼び起こしてくれるようだ。雪が積もるたびに、心が洗われていくような感覚もある。だから、冬が待ち遠しいのかもしれない。
もちろん、札幌に移住したばかりで、何もかもが目新しく感じているだけという可能性もある。一方で、雪が積もったときの興奮やよろこびは、もっと心の深いところで感じているようにも思える。その答えは、何度か冬を越してみないとわからない。
さて、今の札幌は紅葉まっ盛りである。東京にいても、年々秋が短くなる感覚があったが、北海道の秋もあっという間に終わりそうだ。
今週末には札幌も雪が降るかもしれない、と天気予報でやっていた。来週は最低気温も10℃を下回る予報だ。
「早くソリで滑りたい」とはしゃぐ娘と同じく、私もまもなくやってくる冬を前に心がワクワクしている。
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