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仕事が立て込んでカムバが怖くて何も見られなかった間の話

10月、手間のかかる仕事が重なって、あんなに楽しみだったSEVENTEENTH HEAVENのカムバが途中から全く追えなくなった。

毎日をやり過ごすのに精一杯で、たとえ楽しいことであろうが、仕事以外のことを考える余裕がなかった。
帰りが遅くなるという感じではなかったけれど、頭を使う仕事なので、退勤後でも、別のことを考えたらすぐに翌日に支障が出そうで怖かった。

SEVENTEENとバーノンを頭から追い出せば、日々はごく平穏だった。目の前の物事に集中できた。
ずっと「うっすら幸せ」という状態で、やるべきことをこなした。だからつらくはなかった。「つらい」と思うとポキッと折れてしまいそうだったので、「つらい」と思うことが一番怖かった。

SEVENTEENを見ると、どうしても目の前の現実と比べて「つらい」と思ってしまう。それだけは絶対に避けたかった。だから全くSEVENTEENを見ないでいた。

アイドルに全く触れないのは耐えがたかったようで、かわりにちょうどカムバ期間が被っていた威神Vのコンテンツをちょこちょこ見ていた。
目の前の物事に穏やかに前向きに取り組むために、ヘンドリーをお手本にした。その節はお世話になりました。あなたがいなければ私は10月を生き抜けなかったと思う。



こうなったのは仕事も一つの原因だし、他にも複雑に重なった原因がたくさんあるように思う。

Twitterに全く浮上しなくなると、情報が更新されるたびに何かを発信しなくてもいい状態がとても楽だった。無意識に「何か言わなくては」と思い続けていて、かなりストレスだったのだと思う。ただでさえT型で、何かを受け取った時に感情に直結しづらいタイプなので。

見終わっても何も言わなくていい前提で見る威神はとても気が楽だった。SEVENTEENもこれでいいんじゃんと思い直した。たぶん自意識過剰なだけで、フォロワーたちはそんなに熱心に私のツイートを見ていないだろうから。

自分のためだけにアイドルを見て、どこかに出かけても誰にも言わずに自分の思い出にした。仕事のめどがついてだんだん人と話せるようになり、また人に話したいと思うことができて、鍵垢でちょっとずつツイートができるようになった。

それでもやっぱりあんまり大量にツイートするのは疲れる。「話を聞いてほしい」という満たされない承認欲求に疲れてしまう。誰にも言わないことを増やしていけたら、もっと健康的になれると思う。

それなのにこのnoteを書いているのは言い訳のためだ。きっと私を心配してくれている人と、大事なカムバをすっぽかしたくせに何も言わずにTwitterを再開するのはありえないと思っている人が、半々くらいいるだろうから。


10月後半は毎晩とても早く寝た。
それまでは午前2時くらいまで起きているのが普通だったのが、翌朝起きられなくなるのが怖かったのと、常にすっきりと穏やかな状態でいたくて、帰ってさっさとシャワーを浴びて22時くらいにもう消灯している日もあった。
だから解禁物は翌朝「こんなの出たのね」とだけ確認した。

MV公開時は当たり前に仕事をしていた。翌日一件電話取材を控えていて、それで頭がいっぱいだったので、その日は何も見なかったし聴かなかった。

翌日、帰りにアルバムを通して聴いた。SOSとHeadlinerのバーノンの声がびっくりするほど近くに聞こえた。これはバーノンペンとしてバーノンの声を聴き慣れていたからなんだろうか。それともやっぱりバーノンさん自身の表現力が上がっているんだろうか。強くまっすぐ鋭く、感情が聴き手の体に入ってくる声だと思った。

どの曲も好きだと思った。そのシンプルな感想だけで十分で、それ以上何か考えるのは余計だし、仕事の邪魔だった。
その日はMVを見なかった。翌朝外でまた別の打ち合わせがあったので、視覚情報を入れたくなかった。

翌日無事打ち合わせが終わって、会社に戻るまでの間にようやくMVを見た。バーノンさんがかっこよくて悔しかった。今全ての記憶をなくしてウマシンで初めてSEVENTEENを見たとしても、絶対にバーノンを好きになるだろうと思った。


11月に入って、やっと峠を越えた。以前から3連休を使って名古屋のミンギュペンに会いに行く約束をしていて、高速バスの中で軽音楽の神を見た。最高だった。

SEVENTEENTH HEAVENは何もかも最高で、一度まっさらにしたって私はやっぱりバーノンさんが好きで、私はSEVENTEENもバーノンさんも全然嫌いになったわけじゃなくて、むしろ大好きだ。
それでも、SEVENTEENがどうしても救えないような状況があるんだと知ってしまった。それがどうしようもなく虚しい。

全英語詞のSOSは、初めての再生でなんとなく歌詞がわかった。
今はこの歌詞の通り、好きなアイドルへの「好き」すら手放さざるを得なかった私の状況はおかしいと思う。いつまでもここにいてはいけないと思っている。
それでも、この山を越えないとその先に行けなかった。越えるしかなかった。だから現状を悪だと思ってしまうSOSをちゃんと聴くのが本当に怖かった。

SEVENTEENがカバーできない状況が私の人生にある。SEVENTEENは全てじゃない。そう思わざるを得ないのが悲しい。
SEVENTEENとバーノンには救えなくて、威神Vとヘンドリーにしか救えなかった私の状況があって、そしてもちろんヘンドリーが私の全てではないように、バーノンさんも私の全てではないと認めなくてはいけないようだ。

同時に、SEVENTEENとバーノンは確かに私の人生の一部で、私の人生になくてはならない存在だ。それも事実だ。
言い換えるなら「十分条件ではないが必要条件である」というこの距離感を、頭ではわかったつもりだけれど、実際どう扱っていけばいいのかまだわからない。

必要なところだけをつまみ食いしていくのは誠実でない感じがする。かと言って、いくつもの必要を一つ一つまるごと食べていくほどのキャパシティは、私にはない。


バーノンさんがWeverseで「習慣を変えるのは難しい」「健康な生活習慣にする」などと宣言していて、バーノンさんもバーノンさんでいろいろ模索中らしいのが、安心するやら、お前さんは翌朝起きられなくなるのが怖くて帰宅して2時間でベッドに入ったことなんかないだろうと思うやら。バーノンさんに対しては基本喧嘩腰になってしまっていけない。

ストーリーで共有してくれたドミニク・ファイクの「Frisky」のようには、私は何も考えないでいいようになんかなれない。バーノンさんは悩みなんか忘れてパーッと楽しんでそれでOK!みたいなタイプなのかもしれないけれど、私は何もかもちゃんと片付けてからじゃないと全然楽しめないタイプだ。
たぶんここがS型とN型の違い。MBTIは便利。

君のジレンマをこんがり焼いちゃおう、ベイビー
そんなの一時的なもんだよ
そんなに頭をごちゃごちゃさせないで
一緒に瞑想しようよ
僕らこんなファンシーな場所で酔っ払ってる
ナビゲートしてあげるよ だって
君の周りの人はだーれも力になってくれないし
僕は力になりたいからさ

ドミニク・ファイク「Frisky」より
拙訳・バリバリ意訳


それでもバーノンさんも何か頭を悩ませてしまうものと取っ組み合っている最中なのだと思うと、安心するやら、でも勝手に自分語りに巻き込んでごめんね。

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