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大切なものから遠ざかるために僕らは大人になりたかったわけじゃない

大人になり、あるいは大人になることを求められ知識が膨らみ「頭でっかち」になってくると、少しずつ目の前のことから離れ、自分から「遠くのこと」ばかり考えてしまう。

どうやらそれが不幸を生むらしい。

先日ある人に「自分の使命を知りたいし、選択を間違えず生きていくにはどうしたら?」と聞いたら、「何か絶対的な理想の未来があると信じないほうがいい。目の前のことを都度『こっちがより良いな』と判断し続けること、そのための判断基準を持つこと」と答えがあった。

あまたのビジネス成功者が「最終的に大事なのは人格、真摯さ、誠実さだ」といった、すごい論理的な人間のはずなのにまるで情緒的な、あえて悪く言うと幼稚に見えることを言うのはなぜだろう?とずっと疑問だったのだけど、むしろそれが良い筋なのは間違いないようだ。

これは昨日書いたカントの言葉にも通じるし、

金をいくら儲けてもなぜか後悔に陥る金持ちの事例を見てもそうだし、仕事をガンガンやる人ほどマインドフルネスでいう自分の呼吸のような「最も目の前のこと」に集中する行為にハマるのもすべて納得がいく。

みんな「遠くのこと」にいつの間にか囚われ苦しんでいる。

僕は高校まで緑の多い田舎に育ち、その後都会で長く仕事をして、コロナ禍に田舎に帰ったのでアスファルトと自然を行き来した。機能的な都市生活は嫌いではなかったのだけど、緑に触れたくなる衝動がなぜか時々やってきた。体調もよくなかった。

田舎に戻り参加したあるワークショップで知ったのは、「地面に手で触れ、手のひらの微生物、菌などが大地の微生物、菌などと混ざり合い交換し、それが手を通じて口に入り(あるいは鼻から空気として吸い)、腸内で多様なネットワークを作るからバランスが保たれるし免疫も高まる」ということだった。

都市のアスファルトやプラスチックに包まれた生活、緑に触れる機会も持てない忙しさ、過剰な消毒などはどれも人間が健やかに生きるための土台を脅かしている。いまさら「土に還れ」と説教したいわけではないが、『天空の城ラピュタ』でシータが「土から離れては生きられないのよ!」と叫ぶセリフがずっと頭から離れないのは、頭より先に体が答えを知っていたんだろうといまさらながら思う。

大人になるということが周りのものを遠ざけることだとしたら、悲しい皮肉である。

目の前の大切なものにもっと手を伸ばそう。

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