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「無駄」の話。
合理化、生産性向上、コスパ・タイパと世の中は無駄をなくして「えぇところ」だけを抽出しようとする風潮は強い。合理化そのものが悪いわけではない。
ただ結果だけを追い求めると、最終的に結果が出なくなる。
「無駄」として以下のようなことはよくある。
書籍を買い漁っても半分以上がハズレ(自分に合わない)になる
アタリの本でもそれは「1ページすごく参考になった」程度で他はあまり身にならない
1年かけて学んだことがトレンドの変化で役に立たなくなった
専門性のある学校で学んだのに、就職したらそれが全く活かせない
仕事に限らない私生活でもそうだ。何年もかけて関係性を高めてきたはずの人とアッサリ終わってしまい、「今まで費やした時間や労力はなんだったの…」と思うことは、残念ながら一度や二度では済まない。
「無駄」は息を吸って吐くかのように押し寄せる。今よりもっと良くしたい!と足掻けば足掻くほど、それは大量の「無駄」をかき分けて進むことになる。
「そういうのもうウンザリだから、省エネでいきたいんだよね」とできる限り「無駄」に遭遇しないように、仕事なり生活なりを省力化、合理化することはできる。
だけどそれをやってしまうと、波風が立たない代わりにワクワクしたり大笑いしたりという心が踊る体験から遠ざかってしまう。
仕事でいえば与えられた仕事だけキッチリこなすが余計なことはせず、波風立てずに省力化していくとする。
扱いやすいその人に対し会社は悪い評価はしないが、リーダーや役員の記憶に残るわけでもなくあえて悪くいうと「交換可能」な人員として扱われてしまう。
業務のどこか一部にでも挑戦的でなければ、その人がいなければ何かが進まなくて困るという事態が起こらず、「別に他の人でもいい」と判断されるからだ。
挑戦的で冒険する行動が少しでもあると「無駄」は必ず発生する。しかし大量の「無駄」をかき分けた先、つまり大量の試行錯誤と失敗の先にしか新たな価値は生まれない。
つまり合理化や生産性向上、コスパ・タイパが良いという結果があるのは、大量の「無駄」の向こう側でしかないということだ。
これを矛盾しているように思ってしまう人は、誰か他の人から結果だけ得ることに慣れすぎている。それが危険信号となる。
「YouTuberのTips動画見ればコスパ良いやり方なんてすぐじゃんww」とか言う人は、価値を生んでいるのはそのYouTuberであってあなたではない、ということがわかっていない。
他人から価値を横流しすることに慣れきってしまうと、全員一緒で全く独自性がないという超レッドオーシャンでアワアワすることになる。せめて「このYouTuberのやり方にヒントを得て、さらにこう改善してみた!」といった発想はしたいところ。
そもそも挑戦を続ける人はその過程の荒波を、無駄とか失敗と思ってさえいないことが多い。息を吸うように、インプットとアウトプットを大量にこなしていく。それが「定常運転」になってしまうのが理想的だ。
ということで、「無駄」を避けて結果だけ得ることに特化してしまうと、その向こう側にあるあなた独自の価値や体験を見出すことができなくなるというお話でした。
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