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「ある家族の会話風になる」あれもこれもダメダメで、、。備忘録ep4


ワクチンが打てない義母と、わたし。
ワクチンをなんとか打った夫。

最初に義母の手厳しいコロナ対策の洗礼を受けた私たち。
マスク、マスクと非常に義母はうるさいし、近づいてこない。

夫の神経質なほどのストレスの原因はこれだったのか?

もちろん旅行をして来た私たちであるから、わたしが陰性証明を取ったところで、その間にかかった可能性もないとは言えない、確かに。

夫はワクチンしてるから僕は大丈夫。でも君とママはワクチンできないから、色々心配でと言う。ワクチンしていても、他人へ感染させる可能性は同じように打ってない人同様あるということがどこまでわかっているのだろうか? 本人はわかっていると言うけど、私には本当なのか? と疑問であった。

まぁ、実は世界中わかってない人だらけで、ワクチンが進んだ国ほど皆さん飛び回り、感染を拡大させてるのが本当なんだけど。
もちろん重症にならないということは確かだからワクチンの一定の効果はあると思うけど、、。

いずれにせよ、彼の問題はワクチンを打ってない私たちが二人もいるし〜、と心配で、神経質に振舞っているようだ。

義母は、ギランバレーシンドロームに、10年前くらいになった。インフルのワクチンの副作用だったのだ。2度なっているだから、今回のワクチンは打てない。打ってはいけない。

私はと言うと、体が敏感すぎる体質で、アレルギーが重度だ。
アナフィラキシーショックを3回やっている。一度は、10代の時に病院で治療薬で。その後、30歳ごろベネツィアでシーフードにあたった。救急船をホテルが呼んでくれた。その人が呼んでくれなかったら、死んでいたところだと言われた。3度目は食べ物からで、これまた意識障害まであっという間に救急車を呼んでその場で手当てをしてもらいその後一泊入院。その後、喘息の治療後、免疫治療もえらい長くやった。それらのデータ今や重要なものに。

そして夫の場合。家族にギランバレーシンドロームになった人がいる場合、日本の厚生省のホームページだと、やるべきかどうか主治医と話し合うようにと書いてあるので、夫はオランダの内科医に相談したのだけど、彼はリスクファクターの人間なので打って欲しいと言われ、ワクチンを受けた。副作用は、顔面神経痛が数日。治ったので良かったが微妙。あれから彼は疲れやすくなっている。

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微妙な空気感が漂う中、わたしの自由を束縛する二人。

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ダメダメ攻撃が始まる。


そういう二人のワクチンが打てない二人がいる状態に、相当夫は気を使ってストレスハイ状態になっていたのはわかる。

が、わたしがトリノのセンターへ行ったり、ミラノへ行こうとすると、「ダメダメ、行っちゃダメ」と、大声で言うようになった。友人と会おうと電話をかけてると、「ダメダメ」と手で何か合図をしてる。

そんなことは普段は全くないので、びっくり仰天。

義母に相談すると、こちらも「行ってはいけないと言えないけど、でも、、、」などと言う曖昧な態度なのだった。怯え?

キッチンで、リビングで、しばしばわたし達家族は、「ある家族の会話」のようになっていた。

というわけで、トリノにいる友人達にもコンタクトして会ったりしたかったのだけど、ペンディングに、、、。

どうやらわたしがウロウロして、義母に移すのが心配のようであった。
義母も、わたしから移るのを心配してる様子。唖然! 

どこも行くところがないんで、近くのスーパーと、公園だけで二、三日過ごすことになる。そして、スーパーはというと、kassa(支払い)で人が混雑していて、1.5mは守られてない。自動支払いの場所もない。

湿度が高くて、過ごしにくい東京にいるようなトリノの夏。雨も降りそうなのに、降らない。気温もそうそう高くないのに、なぜかオランダより暑い。

毎日蚊に刺される。

モヤモヤが爆発しそうな二日、三日目。
家の中でのマスク状態はすぐになくなったとは言え、なんだかもうダメだとわたしが爆発しそうな時に、義母の友達の家に会いに行くことになった。

義母の友達F、彼女が駐車場をわたし達滞在中にタダでと提供してくれたお礼のため彼女の好きなブランドのバックプレゼント用に買ってきて準備も整えた。

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ところでイタリア人は、オランダ人嫌いなの、それは最近なのかという問い。


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私たちのオランダの車についてるオレンジ色のナンバープレート、これがもう一つ夫が気になっていたこと。

去年のことを覚えているだろうか? 

イタリアがコロナ患者であふれた頃、EUにコロナ患者のための助けや受け入れ、復興基金を申し入れたのを。
最終的には、多すぎるコロナ患者を助けに来てくれたのは、キューバだったり、中国の支援だったりロシアの軍隊(感染部隊)だった。なんと! 共産主義国だったのだ。EUではなかった。

そして復興基金に関しては、オランダのルッテ首相や北欧の倹約グループに邪魔されたりしたこと。それにより、EUの繋がりがガタガタになったことを。南欧と北欧で政治的に対立をしたので、イタリア人とオランダ人の国民意識も同時に変わったのだ。

イタリアでは、夏休みのバカンスに来てもジャガイモをオランダスーパーから買って持ってくるような、倹約が大好きなオランダ人をかなり嫌がる傾向が高まった。今までと、それはオランダ人の変わらない行動なんだけど。(ぼそっ)

そんなことを知ってることもあって、オランダナンバーの車を付けてるわたし達の車は危険に晒されてると、夫は思っていたようだ。
そこに現れたのが、それを聞いた魏母の友人Fだった。

次回、ep5 イタリアの高齢者宅へお邪魔する。行っていいのか? 苦笑

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注 ある家族の会話風とタイトルにつけたのですが、その小説、「ある家族の会話」ナタリア・ギンズブルグの小説については、こちらをお読みください。本の感想を書いてます。よかったら是非。





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